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ミルキーはママの味
2017年03月23日 09:03不二家のミルキー、僕らが子供の頃からありましたから、かなりのロングセラー商品、子供でも大人でも、目の前にあればついつい手に取ってしまう、そう、大人でも好きな人多いようにも思います、なんとなく恥ずかしいから口には出さないけれど。
僕は面談の時、テーブルの上にペットボトルか缶入りの飲み物と、飴を置いているのですが、飴は基本的にはキシリトール飴とかフルーツ系ののど飴とか。
先日、母が何かの集まりの時に箱に入ったミルキーをもらってきまして、僕はそのミルキーをのど飴と一緒に面談の時に出しておいたのですが・・・・・・ミルキーを手に取る人が非常に多い、女性はそうでもないですけど、男性の場合は特に、勿論僕も何個か食べましたが。
CMで昔流れていました・・・・・・ミルキーはママの味。
はたして「ミルキーはママの味」という事でいいのか、たぶんCMでそういっているのですから、ママの味の象徴として、という事なのでしょう。
ミルキーを味わう時、なにか懐かしさのような感覚が湧き上がっても来ます、その時、僕らはどこに立ち返っているのか、その懐かしさはどこにつながっているのか。
思うに、ママに抱かれて一体となって、ママの匂いに包まれて、柔らかさの中で安堵していた自分(そして自分の一部としてのママ)、自分を万能感に浸らせてくれた愛おしいママ・・・・・・に立ちかえっている訳ではない、ように思います、ママは切り離しているように思えます、ママに立ち返っている訳ではない。
多分、思うに、まだ言葉もハッキリしない時期、自我が芽生える前の時期、歩く事すらもまだ上手に出来なかった時期。
そういった時期の、自分に・・・・今の自分の素に、立ち返っている。
乳幼児にとってママの象徴である母乳を、自分の身体の隅々にまで取り込みつつ、暖かく柔らかな観念の世界を心地よく浮遊していただけの、自分、自分の素。
ママの象徴~母乳~乳幼児の匂い~自我が芽生える以前の自分の素の匂いであり味。
ミルキーを味わう時、既に失ってしまった、取り戻しようのない愛おしい自分の素に想いを馳せている。
なにかそんな様な気がしています。
そう考えた時、ロングセラーに頷けるように思います、というか、人生に欠かせない飴、的な。
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