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神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
メタ ベタ 転回
2017年11月27日 09:29ヘッドホンを装着し「僕は存在していなかった」のMVを10回くらい連続で、積極的に没入するという仕方で視聴した結果、現実とは何なのかと、かなり混乱。
ああ、何故こんな事をするのかというと、カウンセリングに必要だから、色々な人達と様々な話をする中でサブカルは外せないところ、知らなければ話せないし、ただ、その時はお客さんから教えてもらえばいい訳ですけれど、あとはそこからあらためて勉強を始める・・・・・・とか言いつつも実はその事より自分自身の興味の方が勝ってもいるのですが・・・・・自分自身がどういう状態になるのかという。
と言いますかサブカルチャーに限らず、さまざまにより多くのジャンルに興味を抱く事は誰にとっても大切な事ですし。
アニメーションで描かれる理想的な世界・・・・・・以下、非常に大袈裟な言い方ですけれど・・・・・・・・。
自分にとっての現実というのはできれば、美しいものであってほしい、自分を取り巻く環境や自分が参入している社会というものが、それは自分にとっての現実というものが、もし美しいものであると断言できるのであればそれはそれでいいのでしょうけれど、そう、なかなかそうもいかない、環境は魑魅魍魎で溢れ返ってもいる、それはもしかしたら、目を背けたくなるような現実という事なのかもしれない。
中には現実を自分なりの言葉によって分節し美しく装飾を施し、想像的ポエムの世界を自分の元に引き寄せる能力に長けた方もいらっしゃいますが、ただ、その事によって本当に現実を生きられるのかというと実はそうとは言えない、その態度というのはしばしば単なる現実逃避でしかない訳ですね。
あくまでも、環境に対応するためには嫌なものでも見なくてはいけないし、逆にそうしない事にはなんの現実対応も出来なくなってしまう。
どのように現実に対応するのか、シニカルになのか、解離しつつなのかメタの視点でなのか、ストレスを溜め込みながらもなんとか我慢しながらなのか、お世辞にも美しいとは言えない現実に対応し続ける、自分を取り巻く実際の環境という現実に対応し続ける、その対応する時のエネルギーとなるのが、心の支えとなるのが、自分の中で大切にしている心的現実、という事であってもいいのだろうし、もっと言えばそれは高度に工夫されたその人なりの優れた現実対応の仕方。
心的現実が心の支えになる事は、間違いない訳ですから。
しかし、心的現実だけを生きる訳にはいかない、心的現実を守る為には衣食住の確保が必要、心的現実を生きる為に、大切な心的現実を守る為に、お世辞にも美しいとは言えない環境を頑張って生きるという在り方。
メタとベタ、転回、自分を取り巻く環境に対してはメタで対応し、大切な心的現実でリアルに浸る。
・・・・・・・ヘンリーダーガーに想いを寄せたくなるような、ならないような。
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