
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
メタ自分
2018年11月06日 09:33自分などというものは、何者でもない、なんのアイデンティテイも持ち合わせていない、明確な価値観なども持ち合わせてはいない、自分は空虚であり又、混沌でもある、突き詰めればそれは渦巻く言語の塊でしかない。
自分の内界という、ただ渦巻いているだけの言語は外部からの刺激によってのみ、その場にフィットすると予測されるインターフェースを形成する、多分これは意識の管轄外において自動的に。
僕らは本来的に、その程度の無器官体、まず初めに無器官がある。
他者と接する時にのみ、その他者の要求に応じて混沌から何らかの自分、それは他者によって役割を与えられた自分になる、勿論これは喜びを伴い本気で演じているという状態としての自分、人生の全ては本気の演技ですから、ああ、メタ自分、メタ自分というワードになにか徴候を感じます。
他者と接していない時の自分、自分の内界になんの刺激も入ってこない状態の時の自分、それはただ呆けて、停止した時間の中でなんの輪郭も纏わずに漂い続けている、それが誰なのかすらはっきりとしない、混沌。
デフォルトモード・・・・待機状態とかアイドリング状態とか、他者と接していない何の刺激の入力もない時というのは器官無き身体でしかない、これは連続的状態としての大きな器官無き身体という意味ではなく、小さなという意味での断片としてのその場限りの器官無き身体、他者と接して刺激が入力されるやいなや、その他者の要求に応じたコミュニケーション機械が組み上がる、と言ってもいいようにも思います。
多分これは僕らの本質、だからこそ他者との接触が欠かせないのだし、そこで役割を担う為には常に自分の内界に新たな言葉を入力し続け、複雑にしておかなくてはならない。
様々な言葉、というのは普通に言えばより多くの引きだし、引きだしが多くなくてはなにも演じられませんしね。
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