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モラトリアムを浮遊する

2018年05月11日 11:10

我を忘れて、全力で限界まで、もしくは限界など意識すらしない中で自分との窒息の戦いすら乗り越えてその先で・・・・・・・・などという事は今はまだしない、という意味においてのモラトリアムというのは、その人のいつまで可能なのか。
たぶん、まだまだずっと可能、それは自分という、命でしかないものをまざまざと見せつけられるまでは、可能。
だから、自分はいつか死ぬという事を本当の意味で実感するまでは、もしかしたらモラトリアムを浮遊し続けていられるのかもしれません、そう、タイマーのスイッチが入ったように感覚するまでは。
自分の死を実感するまでは、というのは、それは言葉を失うしかない精神の痙攣に見舞われるとか、ラカンにおける三界のうちの現実界に一瞬触れてしまったように感じるまでとか。
今の成熟した社会、全力で限界まで、などと言う仕方を演じなくともどうにでも生きてゆける。
でも、ところが、そうではあるのだけれども、やはり人の話を聞いてみたり、実際になにかに全力で限界を超えて立ち向かっている人を目の当たりにする時思うのは、誰でも人生の中で一回は全力を出して限界まで、自分を本気で試すかのように何かに向かわざるをえない衝動にかられる、これはやはり自分は果てる事が約束されている命でしかない、という事を理解した時、それが見えた時。
半年も一年も、十年も三十年も、振り返った時には実はあっという間。
僕らはいつも、全力の人を目の当たりにする時勇気づけられる、そして自分を省みる。

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