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ラヴェルのボレロ

2018年04月10日 10:11

ラヴェルのボレロは年越しのコンサートなどでも演奏される、静寂と高揚が行きかう、ノスタルジーに浸りながらも勇気が湧き上がってきて自然と前を向いてしまうような曲でもあるとは思うのですが、なにかそれだけでは済まされない、焦燥感や急き立てられる感覚にとらわれて、慌てて目を覚まさなくてはならないような、そして今すぐにでも動ぎ出さなくてはいけないような衝動にかられる、といったらいいのか。
繰り返されるリズムは古典的反復強迫のその向こうで・・・・・・・・適切なように感じるのはシニフィアン機能のらせん状反復性。
ある一つの原因が経験という刺激によってさまざまなシニフィアンを引き連れて意識に表象される事を際限なく繰り返し続けるしかない僕ら。
ボレロ、さまざまな楽器というアイテムを通して奏でられる、ただ一つのメロディではあるものの、そのメロディを聞く者を決して飽きさせない差異としての表情。
シニフィエは同じであるにもかかわらず表面的なシニフィアンの表情が様変わりしているので一切本人に気付かれる事の無い、らせん性。
・・・・・・・なんかあれです、訳の分からない事をつい勢いだけで書いてしまいました、思いっ切り理論を曲解しキッチュに延長するという手続きが功を奏す中で、行きつくところは脱構築や散種、ただそれすらもキッチュに延長しながら都合次第でという事になるのですが・・・・・・。
ボレロはとてもいい、一つ所に留まり続けて味わい尽くす感覚、ただそれは楽しいとか心地がいいとか、そういう事とは違う、決して本性を味わう事の出来ない諦めの中で敢えて味わう、ただ夢中で、囚われて、ネガティブな充実感と共に、まるで、不可能としての享楽に昂じているオブジェクトレベルの自分をシニカルな視点で眺め続けているかのよう、そして曲が終わりに近づくにつれ今すぐに、この場を離脱しなくてはならないような焦燥にかられる、目が覚める、元気になるしかない、強制的に勇気を湧き上がらせる、という非常に迂回的な手続きを経由して、新年のすがすがしさに酔いしれる。
すいません、思考を排除した中でのただの勢いの文章でしかありません。

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