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リゾームの何処かに

2020年01月20日 19:37

もう、今の時代そしてこれからの時代というのは「世の中には男と女がいて・・・・」という物言いは殆ど意味をなさない、身体機能の違いという事から言えば勿論やはり男と女という事なのだろうけれど、身体機能がそのままセクシャリティに関連される訳でもないのでしょうし。
だから社会的ファルスに集結するもの達と、そうではなくリゾームの何処かに点在するもの達とでも言えばいいか、少し前までは所有するものと関係するものという言い方もありましたね、ただ所有は愛ではないようにも思えるし、まあそれを言ってしまえばファルスに集結するものこそ所有されているとも言えるように思えます、集結するという事は自分より強大なものに仕えそして所有される事によって自分を保つとか、それが自分の役割であると満足を得て誇りに思うとか。
ファルスに集結し仕える即ち強大なものに所有されるマゾヒズム、その倒錯的満足の裏側で神経症的な鬱憤を晴らす目的で点在者を所有しサディズムを発動する・・・・・いやこれはちょっと流れが変わってしまうからやめます・・・・・・・。
集結者に所有されるというのもこれはどうなのか、所有される方にしてみると最初は良いにしても、いずれ自分の所有者に抱いていた尊敬も時間と共に綻びてくるというのが常。
とか考えた時、思うに、ファルスに集結しているものに所有される、これは集結者が関係者を選択しているようでいて実は、秘かに積極的選択をしているのは関係者なのかもしれないです、だから所有しているつもりがその実、関係者から所有されているという、愛想が尽きて捨てられるなどと言うのはその最たる現象。
そう、今眠いからよく分からん、なんか適当な事を思うまま書きつけていますが、冒頭に戻ると取り敢えずは、ファルスに集結する心性を持った人とリゾームとして点在する人がいる。

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