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一回限りの現実
2016年09月22日 09:39実さん 茂さん 清さん 和子さん 幸子さん 洋子さん
日本人に多い名前だそうですが、年代によっても違うのでしょうね。
上記の名前とは全く関係ありませんが。
誰でも、当たり前のように名前というのもを持っていて、それは自分が産まれた時に親や身近な人がつけてくれたもので。
多くの場合、というか殆どの場合、その名前を考えた人というのは、その瞬間には、純粋な想いに基づいていたのでしょう。
この名前のように○○な人になって欲しいという、純粋な想い。
その純粋な想いの中で育て続けられるのが、もしかしたら理想的なのかもしれませんが、やっぱり育てる方も人間ですからね、名付けの瞬間から時間の経過と共に、別に当初の名付けの想いを忘却する訳ではないですけど、その純粋な想いにさまざまなノイズが混入してきてもしまいます・・・・それは致し方のない事なのでしょうけど。
成長と共にさまざまなノイズにまみれ、経験を振り返って途方に暮れそうになった時。
名前に込められた、もしかしたらそれは、一回限りの、という事なのかもしれませんが、名付けの瞬間の、○○な人になって欲しいという、なんと言ったらいいのか、自分の名前の由来というのは、勿論人それぞれあるのでしょうから、それは遡ってみた時、自分にとっての唯一の確かな現実としての、向けられていたであろう純粋な想い(そして純粋過ぎるがゆえに、規定を伴う不純な想いであるとも言えるのでしょうけど、それは今はおいといて・・・・・)。
迷った時は、その唯一の現実に立ち返ってみるのも、いいのかな、と。
・・・・・自分の名前で考えてみた場合、「伸」び伸びと、「一」人目の子供、父親から譲りうけた「郎」の一文字・・・・・・・なんか、よくわからん、背が高くなれば、それでよかったのか・・・・・・・であれば、その想いは十分に実現されている訳ですが。
たぶん、名付けた人は、その瞬間は僕に対して純粋な想いを、希望に満ちて、願いを込めて、陽性の愛を向けて、つけてくれたのでしょう。
その後、さまざまなノイズが混入されたとしても、その陽性の愛だけは、一回限りの自分にとっての現実であった事には違いないのかもしれません。
・・・・・・でも、だからってこの想いを、あらためてもう一度、親と共有するべき、などというナンセンスな話ではなくて、これは、そうですね、自分が信頼できる大切な他人と共有して下さい。
そしてそこでは、名付け当時に向けられていた純粋な想いの他に、自分自身の解釈を通じて新たな純粋な想いが発見できるのかもしれませんし。
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