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一旦は打ち捨てられる父親
2016年09月01日 09:14以前テレビで放映していた、あれは、スバルのCMだったでしょうか。
父親に反発する息子、その息子に腹立たしさや戸惑いと共に苛立つ父親。
息子はその後自立して家を出たのち、一人前になって実家に戻ってきて、最初は気まずさもあるのだが、時間と共にスバルの車を通じて和解してゆく、長い時間を経てお互いを認め合うことができたかのようで・・・・・・。
今は受容し合う優しい父息子の関係も多いと思うのですが、そうなんですね、こういうCMのような経験というのは、あってもいいと思います、というかあった方がいいのかな。
本来は、息子という事なのでしょうが、今の時代は場合によっては、たとえ娘であったとしても。
自立前後の子供にとって、父親というのは、自分を規定しているように感じる存在、規律を課す存在、自分が従わなくてはいけないような気持ちになってしまう存在・・・・・まあ、うざい訳です「目の上のたんこぶ」「脱ぎ捨てたいもの」「精神的に断ち切りたいもの」といったような。
自立して、自分が社会に出て一人前になる上で、邪魔な存在でしかない。
もし、スバルのCMのような態度を取らずに、父親に従ったまま自立・・・に、なるのかなこれ、社会人になって、上司や先輩社員に父親の影を見た瞬間、委縮してしまったり、無条件に従ってしまったり、目上の人との関係の中で、条件反射的に自分が父息子関係の息子のポジションに滑り込んでしまったり、うん、もしかすると同僚との関係においても、ちょっとしたスキルの差を感じた時に、その構造に移行してしまう事も、ない事もないですね。
父親に対してというのは、自分が成長するどこかのタイミングで、蹴り飛ばす、打ち捨てる、投げ飛ばす・・・・・いや、これは極端な例えですけど、要は一旦、脱ぎ捨てて、捨て去って、断ち切って、乗り越えるという経験が必要になるのかもしれません。
自分が社会に出てゆく上でも、その経験は自信につながりますしね、自分を規定しようとしてくるものを振り払って自分の意思で今ここにこうしている、という事にもなるのですから、社会で競う上で、ビビらなくなる。
実際に身体的闘争である必要はなくて、精神的に乗り越えるという事でいいと思うのですが、尊敬できる親父なら「絶対この人より上にいってやる」という野心でもいいでしょうし、逆の場合は「自分は絶対にこうはならないぞ」という自分なりの理想像を思い描いてもいいでしょうし、一旦は捨て台詞と共にけんか別れ、みたいなのだってありますし、1年くらいろくに口きかないみたいな時期を経験する人もいますし。
口うるさく、もしくはしつこく指図してくる父親を、論理的理性的に言語によって打ち負かしたっていい訳ですし、何度か繰り返しているうちに、通常の父親であれば自分の意見を持った息子に、口を出さなくなる、一目置くようになる、というのもありますね。
そして自分が社会に出て、ビビらずに頑張って、一人前になって(精神的に)実家に戻った時に、和解する、そこからが自立した大人同士としての、理想的な親子関係なのかな。
よく、母親との関係ばかりが取りざたされますが、父親とのこういう関係というのも非常に大切なのだと思います。
実際に蹴り飛ばす必要はないんですよ、剣道の、なんでしょうあれは、剣の達人が「気」で相手を制するみたいな、親父が「おっ」と一瞬怯むようなイメージでもいいと思います。
・・・・・思い返せばこういう闘争は結構やったように記憶しています、だいたい反抗期が終った頃からですかね、反抗期が終わって、自分の価値観とか自分はどうしたいのかと考えるようになると、自分が自由に動くためには父親の規定というのはうざく感じるのですね、精神的に脱ぎ捨てたくなる、別に何を言われる訳ではなかったとしても、煙たいだけの存在と認識してしまう事もありますしね。
保護ーー確執ーー和解ーー相互承認 こんな感じで通常は推移してゆくでしょうか。
実際の性別には関係なく、男性的な心性が強い方の場合は、という事ですけど。
今の時代はこういうモデルも少し変化してきているケースもあるのかな・・・お父さんが元々優しくて、息子や娘が独自の価値観を持ち始めると、それを自然と受け入れてバックアップしてくれる、歓迎して応援してくれる、という流れも時々ありますね。
子供はそこで自信を付けて、社会に出て、競う事は好まず、協調性の元、他者配慮的に環境に適応してゆく、という事も勿論あるのでしょうね。
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