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一般常識
2017年02月19日 09:42PCの普及以降、自分で字を書くという事がほとんど、というか全くなくなった。
キーボード打って変換するだけ、せいぜい正しい漢字を数種類の候補の中から選択するだけでいい。
漢字の読みは昔と変わらずにできますけど、中学生レベルの漢字だとしても、いざ書こうとすると、書けない事がよくあって、戸惑う・・・・・なんとなくのニュアンスは頭にうっすらと浮かぶのだけれど、まず書けない。
という現象は、どうしたものでしょうか。
敢えて漢字を忘れないように書き取りのドリルを週に一回はやりましょう、なんて事はやりたくもないし、そんな時間があるなら他の興味のある事に時間を費やしたいし・・・・・・などという事を思ってしまう時点で、効率化や科学の進歩に飲み込まれてしまっているのかもしれないですけど。
手書きの方が伝わるのかとか、そんなような事も言われたりしますが、確かに、わざわざ手書きで伝えてくれた、と思う人もいるのは事実なのでしょう、でも、その事と相手を思いやっているのかどうかと言う事は別問題であるようにも思われ。
メールだろうがワープロソフトだろうがラインの短文だろうが、絵文字やスタンプだろうが、伝わるものは伝わる訳だし。
漢字を正確に書けるかどうかと言う事は、これから先もずっと、一般常識と呼ばれるものの一つであり続ける事が出来るのか・・・・・・なんかそのうち、数学の難しい問題が解けるとか、歴史に異常に詳しいとか、そういう事と同列で、漢字を正確に書く事ができる、みたいな事にもなってゆきそうな勢い。
PCやスマホ、ネットで代替えできる事はどんどん代替えして、もっと何か別の、思考や構築、創造や創作・工夫、そういうところに能力を集中するようになったりするのでしょうかね。
一般常識も、時代と共に変わってゆくのか、で、上の世代にいけばいく程、過去の価値観にしがみつくしかない・・・・・・漢字を書けなくなっている自分より下の世代を嘆く身振り、しかし、嘆きの対象である下の世代とは先端機器を器用に扱っている、羨ましい世代であったりもします、だからそう、羨望も入り混じっているのか、ちょっと極端な話ですけど。
まあ、暇な時には漢字の練習とか、たまにはいいのかもしれませんね。
・・・・・そういえば、話は変わりますが、携帯電話のCMでもありますね「スマホと共に大人になってゆく世代・・・・・」と言う、僕はこれは羨ましく感じているのですが。
物心ついた時から、当たり前に存在するスマホ、そのスマホを利用すれば様々な知識に瞬時に接続できる、となるとこれ、スマホ以前には記憶を頼るしかなかった事も、記憶という手続きなしに、容易に取りだす事ができる、記憶、心、無意識、に集積していない事も自分の保有する知識として接続する事ができる、知識の定義も揺らいでくるのかな、とかも思います、特に社会に出た後は。
心・・・・これは心的装置という言葉で言い表されたりもしますが、その心的装置の一部をなしているのは、今の時代はスマホ・・・・スマホという装置・・・・・心的装置、スマホという装置、どちらも装置には変わりないですからね。
スマホを保有するという事は、昔で言えば本棚いっぱいに陳列された百科事典の群を持ち歩く以上のもの、とか。
一つ問題なのは、その情報に接続して自分の知識とする時に、その情報に接続済みの匿名の個々人の感想を同時に自分に入力してしまう事、先入観が芽生えてしまうのかもしれないですしね、ノイズは排除した方がいい。
でもこれは今までになかった新たな可能性が大きく広がりつつある、という事になるのでしょうか。
誰でもその気になれば接続可能な膨大な量の知識が様々なデータベースに存在している、なにか勝負の次元や求められる能力が変わるというか、知識を記憶する事より、引きだした知識を利用応用する能力が大切になってくるのですかね。
記憶する事も大切、と目くじら立てる必要もないようにも感じていて、実践において、スマホで調べて、その知識を応用しているうちに、一回使用した知識というのは自然に記憶するのでしょうし。
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