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不安な気持ち
2018年01月02日 10:04不安な気持ちを人に気付かれまいと、その不安を攻撃性に転嫁する人もいる僕は勿論若い頃はこのタイプでした、これは人間の根底をなすものとして、多分原始の時代からなのか、何かに出くわす、それは自分の知らないもの、知らないものは判断のしようがないから不安や恐怖が芽生える、その時の選択は、逃げるか、攻撃するか、これはもう自分を守る為にはどちらかしか選択枝はない訳ですから。
まあそんな面倒な屁理屈は今はいいです、時代や環境はどんどん変わっているのですから、もう走査可能なコンテクストすら失っている、ていうか文脈として関係ない、そしてずれずれ。
・・・・・・・不安を攻撃性で覆い隠す人と、不安な気持ちがダイレクトに表出される人、これは確実にいらっしゃいます。
攻撃性に転嫁する場合は、プライドという強固な鎧を纏っている場合もある「はっ、別に怖くもなんともないし」的な。
これはα機能とβ要素みたいな、なんというか攻撃というネガティブを向けられた人が、忍耐のもとそれを咀嚼し、ポジティブに変換して返し続けてあげなくてはいけない、そんな中で徐々に攻撃性は薄れてもゆく、恐怖から吠えまくる野犬に対して、敵意がない事を全身全霊で表し続ける、そんな中でいつしか、その野犬の心は解氷してゆく、こんなイメージでしょうか、この流れは分かりやすいし、対応もシンプルでいい。
もう一つの、不安がダイレクトに表出する方が対応に苦労するのかもしれません。
基本的には、守られ、保証され、温められ・・・・だから常に包み込まれている感覚の中で、少しずつ行動する、そして行動し終わったらその依存対象のところに飛んで帰る、そこでまた褒められたり、一緒に悔しがったり、慰められたり勇気づけられたり、何度でもそれを繰り返す、幼少期の母親と幼児の関係をやり直す、たぶんこの部分がきちんと機能しなかったのでしょうから、もっと言えば親から自分のやる事を否定され続けた人とか、常に先回りして保護され続けてしまったとか、そんな中で大人になったからって一人放り出されたって、それは不安でしかない訳です。
そういう状況にある方は、人を100%信頼し、自分を委ねてしまう事にも大きな不安感を抱く、それはそうですね、特に否定され傷つけられ続けてきた場合は特に。
だから、まずは信頼していい、100%曝け出していい、全ての要素を無条件で受け入れる、たぶんこのメッセージを発信し続けるしかない、親の愛の理想形というのは、もしかしたらこんなようなシミュラークルなのでしょう。
攻撃性への転嫁の場合、ダイレクトに表出される不安の場合、どちらにも欠かせないのは、親なみの、シミュラークルとしての無償の愛、のイメージ。
思い切って飛び込むといいですよ、不安なんか自分一人の努力でどうにかできるものではないのだし、常に包み込まれ続けている感覚、これは必須条件です、その上で少しずつ自然と変わる、というか気が付いたら変わっていた、というニュアンスなのでしょう。
あとそうだ、包まれる側が、これは性愛の文脈の行為なのか、そうではなく愛の文脈の行為なのか、判断する事が大切、愛の文脈の行為なのであれば、その場から逃げ出す必要はないのですしね、これは今の時代、同性異性には一切関係なく。
そして自分には愛を向けられる価値が、確かにあるという事、そこだってどんどん相手に確認したらいいです。
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