神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


主張し続ける顔

2016年10月25日 09:17

顔ってなんなんだろう・・・・と考えれば考えるほど分からなくなってきます。
顔には目と鼻と口があって、横に耳がくっついていて、そのバランスや大きさは人によって違っていて、だからこそ個人を特定できるのでしょうが、同じ顔ってまずないですしね。
という事は、もし顔というものがなかったら、個人を特定するのは、声とか体形とか、でもそういうのは聞き間違えや、体形は似ている人って結構いますし。
そうだ、顔には筋肉も付いていて、表情も変わりますね、しかしあの喜怒哀楽の表情というのは、誰に教わった訳でもないのに何となく自然と出来てしまうのか、それとも親や環境からそれなりに学習したのか、怒っている時は怒っている表情に自然となるし、悲しい時には悲しそうな表情に自然となるし。
もし仮に、顔というものがなかったとして、ただ視覚器官、聴覚器官、摂食器官、発声器官、呼吸器官・・・・こういったものが身体に効率的にちりばめられているだけだったとしたら、そこには脳を覆う頭部というものがあるだけで・・・・・どうやって個人を特定すればいいのか・・・・と想像しようとしても、なんかホラーにしかならないようでもあり、ちょっと怖い。
あ、でも情報の処理は脳で行うのだろうから、各器官は脳の近くにあった方が効率がいいのですかね、死角をなくすために360度見渡せる視覚器官とか、音にしたって全方向から聞こえた方が身を守る為にはいいのかもしれなくて、だからレーダーみたいに任意に360度動かせる聴覚器官とか、あと丸呑みするだけで勝手に消化してくれる・・・・これは、なんでしょう、ヘビ的な消化方法とか、でもそうすると食の楽しみというのはなくなってしまいますね。
・・・・・・すいません、話が逸れました、というかありもしない事をダラダラ書いているだけなんですけど・・・・。
顔というのは、個人を特定する為の究極の視覚情報であり、自分は〇〇であるというメッセージを常に発信し続けている、主張し続けているもの、それはもう、自然に無意識的に。
なんでそういうふうに進化したのだろうとか考えると、不思議であるような、でもそうなるしかなかった必然のようでもあり。
インフルエンザが流行する時期とか、花粉症の時期とか、マスクして外出する人が増える訳ですが、マスクというのは付け初めはちょっとうっとうしかったりもするのですけど、慣れてくるとなんか気分的に楽だったりもするように思います。
花粉やウイルスの侵入を防ぐという機能以上に、固有性を消し去ることのできる機能とでも言いますか、マスクしている時というのは目の下からアゴ全体まで覆う事が出来る訳ですから、外部に晒しているのは目だけ。
顔を覆っている、仮面の効果、匿名性、見られる事への拒絶・・・・・自分は〇〇であると主張し続ける事を、マスクをしている時は少し休む事が出来るのか。
・・・・・なんかまとまりようのない話が延々と続きそうなので、この辺でやめておきます。

—————

戻る