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交換可能という事

2016年04月28日 10:01

会社に所属して仕事をする、というのが一番分かりやすくて典型なのでしょう。
僕らは歯車なのか、歯車ではないのか、まあね「歯車にはなりたくないぜぇ」みたいな事は口にした記憶もありますが。
交換可能な存在である時点で、それは歯車という事になるのか。
会社で働くという事ではなくても、社会に張り巡らされているさまざまなシステムを支えるための歯車である、という見方もありますし。
生きているという実感以上に、システムを支えつつシステムに生かされているみたいなね、科学的にとか社会的にとか、そういう意味ですが。
ーー交換は不可能であるという考えというのは、どうしてもナルシシズムに・・・・的にも思えて、でもそれがないと生きていけませんけどねーー
歯車である事は認めるとしても、それが強制・規定された歯車なのか、任意の歯車なのか、自分の意思で・・・・・ってどうやんのそれ?
なんか自分で書いていて意味が分からんですが。
消耗してただ削れてゆくだけの歯車にならなければいいのか、徐々に大きな歯車になっていければいいのか・・・・ってこれもよく分からんですね。
そう言えば退職者の引き継ぎみたいなのって、結構大変ですよね、ダーッと慌ただしく引き継いで、その人はパタッといなくなって、一人で任されて、前任者と同じスピードでいきなり回り続ける事を要求されて。
だからどうなんでしょこれ、「あぁぁ~れぇぇぇ~っっ」って目回さないようにして、自発的にグルングルン楽しく回っちゃえばいいんでしょうか。
はい、最後までグダグダです。

僕が普段心掛けている事は、交換可能を前提とする中でも、自分が関わる人との関係を大切にするという事でしょうか、まあね、唯一それだけが大切なんだと思います、突き詰めれば。

広義において、歯車になるとは社会・システムの一員になるという事で、実際、社会性を発揮して社会の一員にならない事には、人と出会い関わることすらできなかったりするのかもしれません。
歯車にならなければ人と関わりようがない、と言ったような。

そうか、歯車って言い方がなんかネガティブなイメージなのかな、じゃあ、構成要素とか、絡めとられる我々とか、規定される僕らとか。
いや、どれにしてもあんまりいいイメージじゃないですね。
そうですね、じゃあ、やっぱいいです「歯車にはならねえぜぇ」で、実際にね、想像的にはそういう事でもいいんだと思いますし。
歯車でしかない事を認めて、その上で敢えて歯車にはならないと宣言する事によって、受け入れつつもどこかに希望を見出して、その効果として立派な歯車に・・・・・、なんだこれ、だからグダグダです。
眠い時はどうしても意味不明の事を考えてしまうようです。


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