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人生に白旗を

2018年05月04日 11:02

あと一年で平成も終わるのか・・・・・昭和、平成と生きてきて、次の年号はなに? とか思いつつ、昭和の自分や平成に入ってからの自分がどういう自分だったかについて想いを巡らし、一瞬ノスタルジーに浸りそうになって、あの頃は・・・・・・・などという無意味な感慨に浸りそうになる自分に腹が立ち、慌てて自分を引き戻す。
「あの頃はよかった」などと言う事は決して言いたくないし思いたくもない、それは、その言葉を発した瞬間に自分の負けを認めてしまうかのようにも思え、諦め、希望が見えないからこそ美化した過去に浸る態度。
あの頃はよかったのであれば、それと比べて今はよくないのか、この先に語るべき希望は無いのか、自分は負けたのか、それは何に負けのか、流れの中で方向を見失う、生命エネルギーの枯渇、降参、人生に対する白旗・・・・・・・・こんな事に想いが及び、だんだんと腹が立ってくる。
自分の過去などは認めたくもない、こう在るしかなかったという事実のその先で。
認め、それは男のクセにという言葉が苛立ちと共にチラつく中で「僕はこれでいい」とか、そんなキッチュな過程を経て自己愛に浸りたくはない。
自分の歩むしかなかった過去などは全否定しながら、もっと、もっと、先だけを見据えて、今までより少しでもましになるように。
というのは単なる僕の症状でしかないのでしょうけれど、だから、全てを受け入れ認めるしかない事実の上で、それをメタレベルで強烈に否定する、自分に対するある種のアンビバレントな身振り、オブジェクトレベルで100%認めた上でメタレベルで全否定する。
過去を肯定した時点で負け、みたいに思っている自分が、自分の中のどこかにいるように感じる事があります、ただ、認めなくては生きられないのですから上記のような作法において。


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