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仕事という自傷

2019年05月01日 10:08

人と関わる事によって自分を保つ、社会性、社会と関わる事で自分を保つ、断絶して誰とも交流しない中で自分を保つ方法を知っていらっしゃる方はそれでいいですけれど、多くの場合は社会参加によって自分を保つ。
自分を保つ上で最も重要なのは実感、自分は確かに生きているという実感、それを最も容易く得る事が出来るのが仕事。
実感の成分の多くを占めている要素は自分を追い込む事から得る事が出来る要は単純な言葉で言い表せば「頑張る」という事から得られる。
肚を据えて本気を出したり、200%に挑戦し続けたり、自分を追い込み続けたり挑戦し続けたり、焦燥感の中で苛立ったり時には攻撃したり蹴落としたり、逆に助けたり、そして助けた事を後悔したり、要は自分を試し続ける、それは自然体で感謝や愛に包まれて喜びの中で仕事をしたり全力を出さずにセーブしたりという自己愛に基づく制御とは真逆の極において。
喜びの中でもある程度の生きている実感は感覚する事が出来るけれど、本当の生きている実感はそこを超えた場所という意味でのある種の、苦痛の中に存在する。
仕事人生の全ての時間をそうする必要はないけれど、どこかの期間ではそんな自分でいてみるのもいい、それがないといつか振り返った時に見えてくるのはヌルイだけの輪郭のハッキリしない陽炎のような自分。
せっかく仕事をするのであれば本物のプライドと共に、ギラギラしながらゴリゴリいく一時期があった方がいいように思います、自分を取り巻く全てに向かって気合い先行でもいいし、と言うか男だったらこの位のオラオラで丁度いいのかも。
何の為に仕事をするのか・・・・・・・・・自分を試す為、試さない事には自分を知る事すらできない。
ギリギリの勝負の中でスマートに勝つなどという事はない、思いっ切り泥臭くいけばいい。
これらの行為はある意味自傷にもつながる、痛みとは自分は確かに生きているという大きな、実感でもある。
そして話はいつものように逸れ続ける、という。

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