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他人の不完全さ 自分の不完全さ
2017年02月13日 09:10自分が完璧ではないのと同じように、他人も完璧ではない。
自分の不完全さを否認し、それでも常にうっすらとしたやり場のない怒りと共にイラついていると、他人の不完全さを目にした瞬間、非難したくなるのかもしれないですね。
そしてそれは、実は自分自身に対する非難や怒りであったりもする。
これは様々な関係性において、そこかしこで見受けられる現象ですよね。
ということは、自分の不完全さを受け入れてさえいれば、他人にも腹は立たないのでしょうか。
一つ問題なのは、自分の不完全さを受け入れた上で、理想を目指して完璧であろうと努力している人がいたとして、その人が他人の不完全さを目撃した時、その他人が自分と同じように努力している人であるのならば、その人の不完全さは受け入れられる、しかしもし、その人が刹那的な態度で日々を過ごしているように認識してしまった時、そこにはやはり、腹の立つ想いが湧き上がってもくるのでしょうか。
これは、もう、そうですね、自分は自分、そして人は人と思うしかないのですが。
常にストイックに向上してゆく事が喜びにつながる人もいるでしょうし、何気ない日常に楽しみを見出し続ける事が喜びにつながる人もいるでしょうし・・・・・・だから、あれですか、そこに人それぞれの、自分自身の納得がある場合、それが自分の生き方であると納得している場合は、万が一それがストイック側から見た時に刹那的であるように見えたとしても、そこはお互い、自分を受け入れ納得している者同士、ということで尊重し合えればいいのかな、と思います。
ストイックも、たま~に、ほんとたま~にですけど、少し脱力してみても、それはそれで新たな発見が出来たりもしますしね。
僕が常に思うのは「他人は完璧ではない、しかしそれ以上に自分は完璧ではない」という事でしょうか。
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