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仮想空間上 現実的空間内
2016年11月29日 09:13思うに、昔の作法としてあった、文通というのは、あれは日常的に会う事が難しいという物理的な距離がある場合とか、それ以外の何らかの事情によってそうせざるを得ない場合に、寂しさと共に想いを募らせてみたいな、深い情緒の揺らぎを伴っていた、場合もあるのか。
だから、文字だけでつながっている時、そこにある種の満たされた感覚はあるのかもしれないですけど、やはり寂しい事は、寂しい・・・・・ような気がします、想像でしかないですけど。
スマホ以降、こういった感覚は、少しだけ変わってきたのかな、と思わないこともないのですが。
PCやスマホを駆使して、より多くの人とという事ではなく、ある特定の人と、お互いに時間を作れば会えない距離ではないにも関わらず、文字だけでつながる事で満足を得る事が出来たりするのかどうなのか、それは煩わしさの回避?会いに出かけるには身支度しなくてはいけないからとか?緊張感を伴わない今のまったりとした気分のままでいたいから?
ただ、寂しさを紛らわせたい、承認を得たい、という事だけが目的なのであればそれでいいのかもしれないですけど、会える距離にもかかわらず、そしてそれが自分にとって大切と思える人であると主張しているにもかかわらず、文字でつながるだけで、それだけでいいというのは・・・・・・たまに耳にする話ではあるのですが、そしてその話をそのまま受けて考えてみた時に。
まあ、最初から文字だけでつながるコミュニケーション方法というのが用意されていて、その環境が当たり前になっているのであれば、敢えて顔を合わせてというのは、余計な気遣いも発生してしまうのかもしれないですし、煩わしさとかも。
同性にしても異性にしても、実際に同じ空間で相手の身体を目の前にするのとしないのでは、これは誤解を恐れずに言ってみれば、相手の体温を感じるのと感じないのでは、やはり決定的な違いはあるのだと思うのですけどね。
・・・・・・仮想空間上と現実的空間内、会ってコミュニケートするというのはごまかしが効かない、という、これを欠点と感じるのか、利点と感じるのかの違いなのかもしれないですけど、確かに相手に身体を晒すというのは、ごまかしは効かないですね、そして誰だって傷付きたくはない、傷付く事を防ぐために敢えて身体を晒すというリスクはおかさない、と言う事なのか。
ーー相手の身体を実感したいという欲望より、傷つく可能性というリスクの方が勝っている?そこにジレンマは存在しているか?・・・これもまた誤解を恐れずに言えば、という事でーー
PCやスマホで相手に何らかの文字を送る、そうすると数分後に相手から何らかの応答がある、そのレスポンスが俊敏なほど自分と相手の距離が近いと感じるのか、タイムラグが無い事が親密さの証? と感じる?反対に、近いようでいて実は凄く遠いと虚しく不毛に感じる?人それぞれなんですかね。
「だから、それってそれだけの関係でしかないんじゃないの? だって会いたいんだったら会うでしょうよ」と思われる方もいらっしゃると思うのですが・・・・・どうも、それだけでは説明がつかないようなね、そんな状況を感じます。
念のため、不安症状が・・・云々・・・・・・と言う事とは全く違う領域での話です。
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