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会話からプレーへ
2017年09月06日 09:04それなりに親しい、友達と言ってもいいのかもしれない二者が三時間、二人きりでいるとする、二人きりで生身の人間としてコミュニケートする、この状態と言うのは話題が尽きない楽しい三時間なのか、話題が途切れる事がないように非常に気を遣う三時間なのか、共通の話題が見当たらなくて気まずく逃げ出したくなるような三時間なのか。
なんて事を考えると、コミュニケーションツールというのは、もしかしたらありがたいものなのかもしれません、カラオケやゲーム・・・・・・例えばカラオケやゲームというコミュニケーションツールを介してであれば、特に会話をする事なく二人で三時間楽しめる。
多分、カラオケやゲームが発明される以前の時代も、何らかのコミュニケーションツールを介して、交流していたのでしょうけれど、ああだから、昔は会話をしていたのに対して、今はカラオケやゲームという、プレーをしている・・・・・・コミュニケーションの在り方が会話からプレーに移行してきたとか。
昔のコミュニケーションツール、それは会話を成立させるためのコンテンツという事なのかもしれませんが。
それはポリティカルな問題とか、イデオロギー的な話題とか、哲学や人生、提出された一冊の文学についてとか・・・・・・そういったものによって、両者の間に敷き詰められたコンテクスト上での会話、これは議論とも言えるのでしょうね。
今の時代は初めからコミュニケーションツール、それは、介する事によってスムーズに楽しむ事が出来るコミュニケーションツールが用意されていて、それを介する事が普通でもあるのですから、もしそれを取り上げてしまったとしたら、そこで昔のようにポリティカルやイデオロギーをいきなり持ちだす事はできなくて当たり前ですね、そんな事には慣れていなくて当たり前でもある。
議論という交流の仕方からプレーという交流の仕方へ。
もう少し社会が進むと、議論とプレーのハイブリットと言いますか、プレーの元での議論とか、議論をプレーとして楽しむという作法とか、メタ議論とか、これは今のおたく的作法とも言えるのかもしれませんが、その作法が一般的社会に波及してゆくのかもしれませんし、これは、オタク的な優れた心性が社会に波及してゆく、という事なのかなと。
・・・・・・・昔のコミュニケーションツール、それは会話を成立させるためのコンテンツという事なのかもしれませんが・・・・・・ここでなされるのは会話、お互いの考えの開示、自分を開示しなくてはいけない、これは今の時代はなかなか難しい事でもあるし、非常に気を遣う事でもありますね、SNSの存在を考えるとヘタな事は言えない、すぐに伝播しますし、だから、何らかのコンテクストの元でのメタ議論をみんなが共有するのが理想的なのか。
生身としての対峙から、キャラとしての対峙へ、とも言い換えられるのかもしれないですけれど。
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