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伸びしろのなさ

2021年05月14日 17:45

伸びしろのなさ、能力のなさ、能力の限界、その結果としての今の状況であり今の自分の環境、などという事は本当は決してないのだけれど。

自分を卑下する為や自分を嫌う為に、そのように考える必要はない、あと、動かない理由付けの為にも。

諦めと共にでもなんでもいいから、取り敢えずはその状況や環境を、自分のものだと認める。

認めれば、自然とその環境で満足を得ようとする、これ以上よくはなりようがないのだ、これが自分の環境なのだと、ここにいるしかないと、諦めと共に受け入れれば、環境や状況は変わりようがないと思えば、そこで満足を得ようとするしより快適に生きようとする、環境の中で自分なりに工夫し満足を得ようとする、環境を自分なりに快適に構築しようとする、環境の中で楽しみを見つけようとする。

快適、満足、安心、喜び、こういう欲望というのは手にして吟味している間に色あせてくる、慣れてきますね、そうすると新たな欲望に目を向ける、それは自然の流れでもある。

自然な流れの中で新たな欲望に向けて、動く、なんとなく一歩踏み出す、そこは諦めと共に受け入れた、自分の環境や状況の外側だったりする。

伸びしろのなさ、能力のなさ、能力の限界、という枠付けは自分の思い違いだったのでしょうか。

まずは自分なりの枠組みの中で楽しむ工夫、満足や喜びを得る工夫、というのも大切なのかもしれません。

自分にダメ出しして、伸びしろのなさを嘆きつつ、その環境を諦めと共に受け入れ、観念してその枠付けされた環境や状況に対して少しでも自分が快適に過ごせるような工夫を施す、快適過ごしたいという欲望、欲望は手にして暫く味わえば飽きる、飽きたら他の欲望に目が向く、その欲望に向けて何となく一歩踏み出す、そこは諦めと共に受け入れた環境や状況の枠外。

動く事で失敗する可能性に対する恐怖からの、伸びしろのなさの設定である場合ですら、まずは今の環境や状況を楽しんでしまえばいい、伸びしろのなさを楽しめばいい。


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