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何でもありの「心」と言われるもの

2020年03月22日 10:23

20世紀に図で表された心的装置、というのは心と言う事ですが、その心と言われているものを図で表した。
そうすると無意識の中核にファルスが据えられていて、その周囲を経験としての言語が渦巻いている、で、その無意識の上に自我とか言われるものがちょこんと乗っかって、その自我は自己愛に依存する形で成立している、そしてその上に監視機能としてなんと超自我とか命名されたものが鎮座しているという、滑稽物。
たぶん当時はそれでよかったのでしょう、というか目指すべき心の形の理想だったのかもしれません。
ただ、こういうのは時代と共に変わってくる、時代や、自分を取り巻く社会や環境によって、僕らは心すら自在に変形させる・・・・・・・自在さがそこにあるという事はそれはシステムという事なのだと思います、だから押しつけの心的装置から離脱して心的システムを手に入れたという事であり、それは固定される必要は一切なく、自在に、逞しく、形を変え続けていい。
さしずめ今現在の自分の心的システムに目を向けてみると、少し前まではリゾームのイメージだったのですが、今は、いつのまにか、プラトーであるように観念的に思え、無意識というプラトーを自らがファルスと化して縦横無尽に動きまわっている、そしてファルスは微分されたプラトーを解釈する為の拡大鏡を携えている。
自我も超自我も自己愛も、どこにあるのか分からない、多分ファルスがそれらを内在しているのだとは思います。
全ては観念的なものなので、なかなか上手く言葉では説明できないのですが。
多分この先、近い将来にはまた徐々に形を変え、多分これは今も進行しているのだと思いますが、もっと明確にオートポイエーシスシステムに近づいて行くように思っていて、プラトーをその場その場の状況に応じて、ああちがうな、プラトーからスーパーフラット的データベースにまず移行して、その時の状況に応じてデータベースからさまざまな要素を取りだして内と外を区切って、ただしそれは脈動する内と外、適時新たな要素を取り込んだり不要になった要素を吐きだしたりしながら、効率的に何かを再生産し続ける、再生産を都度停止して瞬間瞬間で要素を入れ変え続けてもいい、となると忙しくなってしまうから、最終的にはそれらを包括するシステムを構築して、その総体を心的システムと認識し、そしてそれ自体も脱構築し続けるメタシステムを目指すとか。
なんかキリがないからこの辺りでやめておきますが、結局は何でもありな訳で、決して何かに縛られる必要はないのですね、ああそうだファルスは途中でいなくなってしまいましたが、まあ、どこかにいるでしょう、それは又今度考えます。


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