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何でも話せる身内や友人?
2015年10月22日 22:02僕らは、まるで自明の事のように「何でも話せる身内や友人に・・・」なんて言葉を使う。
でも、そんなのは無理だ・・・、と言い切ってはいけないのかもしれないから、そういう相手がいる人は幸運だと言えない事もないのかもしれないけれど、くらいにトーンダウンしておこうと思います。
そもそも、何でも話せるわけではないから苦しくなるのだし。
当然、どう思われるかと考えるし、それ以前にプライドだってある。
相手を気づかうからこそ、話せないこともあるし、諦めと共に話せない場合もある。
だから、抱えて、見失いそうになって、身動きが取れなくなって、じりじりと辛くなる。
逆に、何でも話せる、特に友人という事で考えてみた場合、自立した個人同士の場合は、なんというか、話す事がはばかられるといった場合も多いのでは、とも思います。
「何でも話せる身内や友人」こんなの、僕だって誰の顔も思い浮かばないし、思い浮かべようとも思わないよ。
やはり多少は、又はある程度は話せたとしても、なんでも、は言い過ぎなんだと思いますし、それが自然。
身近な人が一番傷つけに来る、という事だってよくありますし。
ふと「えっ、これってなんの理想論だ」みたいな事を思いまして、深く考えるとこういう事なのかなとあらためて・・・・。
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