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何度でも立ち返り話す
2016年10月08日 08:52思っている事を言葉にする。
自分の中でまだ明確になっていない、ぼんやりとした観念のようなものを理性によって手繰り寄せながら言葉にする。
そして、その言葉を聞いた人が「あなたはこう思っているんですね」と要約・確認のような事をしたとたんに・・・・・・何となく不安になる、焦る、反発したくなる、寂しくなる、相手が刺し向けた言葉に規定され、縛られてしまうようにも感じる、人から聞かされたとたんに自分の本心ではないかのようにも感じる。
相手に目を向けると、その相手は自分の事を理解したように考えているかのようで、そして訳知り顔で話を先に進めようとしているかのようでもあり、なにか自分が話した事で自分が決めつけられてしまうようにも感じ、それはまあ、自分の話した言葉の効果によって、という事は否定しようのない事実なのだけれど。
なにか、話してしまった事によって、自分で自分を決めつけ縛り付けてしまったようにも思えて、そしてその自分のイメージだけが先行していってしまいそうな、不安、焦り、戸惑い、自分の本体が取り残されてしまうようにも思える寂しさ。
・・・・・・・こういうのは、あれです、自分でもうっすらとしている、まだ明確にはなっていない想いのなかの一つについて、言葉にしたというだけの事でしかなくて、その一つの想いを話した事によって、他にも違った想いもある事に徐々に気がついてゆく過程、という場合もよくありますから。
何度でも立ち返って、この前はこう言ったけどでもこんな想いもある、もっとあんな想いもあるかもしれない、と、何度でも可能性を話せばいい事なのだと思います、その後に整理・統合してゆけばいいのですから、これはいいかげんという事ではありません、自分の想いに真摯に向き合っている態度、という事です。
一つを取りだして話すという事は、それは他の多くの想いを取り残す、という事。
一つを話すという事は、うっすらといている自分の思いについて、自分で気がつくキッカケを作ったというだけの事である場合もありますから。
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