
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
何故こうもあっけなく
2019年02月01日 10:42深夜や明け方の電話の音、これは今の時代は枕元に置いた携帯のバイブレーションに取って代わられているのでしょうけれど、これにはかなりドキッとさせられます、通話を開始したとたんに血の気が引く事だってある、まあ、バイブの作動に目が覚めた瞬間に脳が情報処理能力をMAXで立ち上げる、一気に放出されたドーパミンがアドレナリンやノルアドレナリンに変換される瞬間なのでしょうけれど。
・・・・・・・しかしそうこれは、思うに、男親というのは何故こうもあっけなく逝くのか、ただ、それは傍から見た場合にはあっけないという思いになるだけであって、本人にとってはそれはあっけないことでもなんでもないのかもしれませんけれど。
アッパレでもあるし、潔くもある、まるで、周りに迷惑をかけない事を第一に考えているとしか思えない。
残されたものは悲しい、もっと話したかったとか、手を煩わせてほしかったとか、自らの疲弊もいとわずに献身的な態度で接する事を容認してほしかったとか、まあこれは残されたものたちが自分たちの気持ちを納得させるためでもあるのだけれど、やり切った感とか。
ただこれはどんなに全身全霊をかけても、後から振り返ればもっとこんなふうにできたんじゃないかとか、後悔ばかりが残ってしまうし、そんあことも承知しているからこその潔さなのではないだろうか、みたいな事すら思ってしまう。
これは世代とか、その人その人、それぞれの性格によるのかもしれないですけれど、プライドとかカッコよさとか生きざまとか、大きな配慮とか・・・・・・・・・本人がそう在る事を望んだのであれば、残されたものたちはその想いを尊重して、その男親の有様を誇ればいい。
自分がそんなふうにできるかどうかは分かりませんけれど、十数年前のうちの親父にしても、今回の義父にしても、僕は誇りに思う、普通の言葉で思ったとおりに素直に言えば「・・・・・・かっこいいね」と思う。
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