神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
価値
2014年12月10日 09:35所有している物の社会的価値と、それを所有する者の社会的価値について。
うちの母なんかも、よく言うんですよね。
「○○さんは、○○会社の役員で・・」とか「○○さんは、鵠沼の一等地を100坪持っていて、来年そこに家を建てるらしいよ、その家って言うのが・・」
その後に必ず「すごいねえ、立派な人ねえ」みたいな言葉が続くんですけど。
これって、所有している肩書きであったり、不動産であったり、身近なところでは車やペット、ブランド物なんかについても、同じような事が言えるんだと思いますが。
完全に所有物の価値で、その所有者の価値を計っているという事ですよね。
これってどうなんでしょう、僕らの親世代の人たちだけの価値判断の基準なのか、それとも広く世の中に浸透しているのか。
少し前に若者の車離れ、なんてことも言われましたが、今の社会情勢を考えれば、当然の流れだと思いますし、その事が、自分なりの考え方や判断基準を持つという事につながるのなら、すごくいい事だと思います。
世の中、消費を煽るような謳い文句が氾濫していますし、でもそれに乗っかってくれないと、経済が循環していかないんでしょうし。
でも、なるべくなら、経済の循環の外に身を置いて、自分なりの価値観を持って生きていければ、そんなにストレスもないのかとも思いますが。
ちょっと、タフな精神力が必要だと思いますが。
う~ん、最近どうも書き出すと、自分でも何を言いたいのか判らなくなってくるんですが。
たぶんですね、所有物の価値によって、その所有者を価値のある人物とみなす、という事は判断基準の一つとして、というか、そういう判断をする人もいる、ということでしょうか。
逆にそういう判断を他人に求めるという動機の元で、あえて価値のあるとされる物を所有する、ということもありうると。
そして、そのどちらも振り切って、自分なりの価値観を見つけようとする人も少なからずいるという事でしょうか。
なんか、当たり前の結論に達していますが・・・。
そういった事全てをうちけして、人間性だけに目を向けるとどうなるのかなあ、と思っています。
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