神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
価値観を共有していた時代
2015年10月08日 20:02子供の頃、まだ週休二日制になる前の時代の日曜日、よく父が会社でやり残した仕事を家に持ち帰ってきて、設計の仕事をしていたので、何かの図面を一生懸命書いていた。
僕は毎週、父の隣でそれを見ながら、もしくは邪魔をしながら、あーじゃないこーじゃないって話しかけてた、なんか楽しそうに図面書いている父の顔しか思い浮かばない。
僕が大人になり、父の定年後、その当時の事について聞いた事があります。
なんであんなに休みもとらずに、楽しそうに一生懸命できたのか、と。
ーー会社は一つの家族みたいで、みんなで助け合い、補いあって、仕事をやり遂げて、その結果給料もどんどんあがって、自分の居場所だったし、とにかく楽しかった、生き甲斐だったーー。
こういう答えが返っていました。
多くの人が価値観を共有していた時代、同一化の対象が割と明確で、迷う必要がなかった時代、という事なのでしょうか。
今の時代は、迷いますね、考えだせばいくらでも迷うかもしれない、何を選択したとしても、許容される範囲も広いように感じます。
そのかわり、自分独自のものを見いだせれば、それはそれで、すごく生きやすい時代なのかもしれませんね。
僕らの父親世代が、会社に居場所を求め、それを自分の意味と感じられていたのと同じように、今の時代は自分独自のものを見出せば、それがそのまま自分の意味になるんですから[自分の為に度]は今の方が高いのかな。
そのかわり、あれですね、一路邁進キレッキレでガッツンガッツンいかなくてはいけないかもしれませんが。
—————