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倫理は後からついてくる
2017年04月10日 09:18自分たちを取り巻く社会の変化とか文化的な変容とか価値観の転回とか。
そういうものを受け入れるとかどうとか、そんな事以前に大切なのは、実際に自分たちの目の前で起こっている事実からは目を逸らさない、という事なのですね。
以前には存在しなかった、それはもしかしたら思いもよらないシステムだったりツールだったり思考の形態や価値観だったり。
環境の中から自然発生的に、必要に応じて、という場合だってありますね。
そういった新たなものを苛立ちと共に敵視している中で何か問題が起こる・・・・・・そうなると「だからそういうのはダメなんだよ、本来人間というのは・・・・・」というような話にもなってくる、新たに生成・創造されて、既に作動し始めているシステムや価値観を全力で否定する・・・・・本来人間というのは? でも、人間のモデルすらも社会の変化と共に変わってゆくのが自然な事なのだとしたら・・・・・・と言うか、歴史を振り返ればそういう事ですよね、だから、誰が本来の人間などというものを語れるのか、そんなのあるのか? とかも思いますけど。
ちょっと話が逸れました・・・・・・・・ただ、否定したところで、すでに動きだしたものは動き続けるのだろうし、それが成熟してゆけば多くの有効なものが枝分かれしてゆくのかもしれないし、だからそれは大きな可能性を孕んでいるものであって、ただ、今はその成熟過程。
否定するという事は社会の変化から目を逸らすという事なのかもしれないし、社会参加を放棄するという頑なな態度なのかもしれない、それが極端に続くと社会は二分してしまうのかもしれないですね。
否定してノスタルジーに浸っても、自身の過去の経験の正当性や、その経験から導かれた自身の価値観の正当性を声高に主張してみたところで、何も生み出すことはないという不毛さ。
新たに生み出されたもののを精査して、それが機能する時のネガティブな要素に着目して、そこをフォローしてゆく・・・・・・その方がよっぽど生産的だと思うのですけれどね・・・・・・新たなものが産出され、それに対する倫理はあとからついてくる。
多くの事に当てはまると思うので、漠然とした書き方になってしまいましたが。
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