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儚く傷付きやすいもの

2017年11月12日 09:31

心のケアは大切、という言葉はよく聞きます・・・・・・これは、心というのは傷つきやすいものである、という前提に立っているからこその言葉、傷つきやすいものだからこそケアが大切、という。

「心のケアは大切である」という主張は、それは場合によっては分からなくもないのですが、そして本当に心のケアというものが必要なケースというのもある事は事実。
ただ、あまりにもこの主張が力を持ち過ぎてしまうのはどうなのかな、とも思わないでもない、先回りし過ぎるのはいかがなものか、と思わないでもないです。
「心のケアは大切」と声高に主張する時、それは「心とは儚く傷つきやすいものである、かけがえのない大切なものである」という、心と呼ばれる目には見えないものの脆弱性について断言しているかのようでもあり。
まあそう、世の中の潮流なのでしょうから、そして簡単に傷つく可能性を大きく孕んだ心というものに施される為の様々なサービスというシステムが構築済みな訳ですから、だからやはりそのサービスというシステムは生かされ続けるしかない、どのようなシステムでも一旦構築されれば、そのシステムを存続させ続ける為にそこに人間を組み込まなくてはならない、人間に利用させなくてはならない。
利用させるためには目に見えない心というのは儚く傷つきやすく、かけがえのないものであるというイメージを多くの人に、それは自明として刷り込まなくてはならない。
逆だったらどうなっていたのかな、という事は時々思います「目に見えない心というものは目には見えないからこそ、それは実体がないからこそ自分自身で創造し続ける事が可能、いくらでも強く保つ事が出来るものである」という主張がなされ続けていたのだとしたら、その時はどうなっていたのかな、という事は時々チラッと思います。
僕が普段実感させていただいているのは、心という概念は意識しない中で、ただ現実的に、なんとか状況に対応し続け、悩み葛藤し不安や緊張のもと、精神的に疲弊し、不調に陥り、なんとかそれを解決しようと、精神的疲れを拭いさろうと・・・・・・・その時にはまだ心というものには意識がいっていない状態、そういう方々には本当に、心のケアという言葉で言われるもの・・・・・・・・ではなくて・・・・・・それはただ一般論的心理学的サービスとして消費社会の上っ面に用意されているだけの、露悪的に言ってしまえば何らかのマニュアルをトレースする事でケアを施された感覚に陥らせる、というだけの。
だから、オーダーメイドの、唯物論的、その人に合ったケア・・・・・というより解決こそが必要なのだと思うのですが。


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