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共鳴するファルス
2018年03月23日 11:49共感や承認という作法が定着しつつある行儀の良い世の中で、ああ、でも、それは表としての世の中なのか、その行儀の良い表を支えているのは仮想空間、ネット上なのかもしれないし、でもそろそろどちらが表でどちらが裏なのか、ちょっと分からないような怪しい状況でもあって、侵入している時間、自分が表に侵入している時間が長いのかネットに侵入している時間が長いのか、そもそもネット上にこそ真実が存在するとかいう事態もいくらでもある訳だし、だから表も裏もなく全ては平坦さの中でというかうねりの中でというかリゾーム的に存在している、もしくは何も存在していない・・・・・・・すいません話がいきなり逸れました、ただ、共感や承認が基本の世の中、という事を言おうと思っただけです。
その共感や承認というものには、それがなされた時の喜びの感覚が付きものだと思うのですけれど、全ての共感や承認に対して喜びの感覚が付いてまわるのかというと、どうもそういう訳ではない、なぜなのかと考えるに、それは作法だから、思いやりという作法が定着しつつある世の中だから、定着しきってしまえば全ての共感や承認に喜びの感覚がもれなくついてくるのか、もしくは共感や承認が可能なものだけをきちんと選別できる態度が見についてくるのか、それは分かりませんが、ただ、今はどんどん行儀の良い世の中に表面上は、突き進んでいるかのような、物分かりの良さ、訳知り顔、しなやかな態度、まあ、作法なのでしょうから別にいいですこれは。
その昔、男は男同士とか女は女同士とか、これはファロセントリズムがどうのこうのとかいう事とは全く別の文脈で、ということですけれど。
語り合う、開示する、饒舌に、言葉少なに、寡黙に、態度で、不器用に、身体を用いて、語り方というのはいくらでもある、そんな中でやはり、同性同士の方が、男同士とか女同士とか、特に男同士、僕が男だからただ男同士に関しての方が分かりやすいだけなのかもしれませんが、男同士での語りにはまず共感や承認は可能で、そこにはもれなく喜びの感覚がついてくる、だからこれは本物の共感や承認という事なのでしょうけれど、共感や承認というワード以前から男同士や女同士という事は言われていましたし、だからこれは分かり合う喜びというのは元々そういう性質のものなのかもしれないですが。
男、僕らはファルスを所有しコントロールしているようでいて、実際はファルスに従っている、自分より大きなものの為に生きる、秩序や法や自分なりの倫理と共にある、時にはスノビズムにも接近する、プライドもある・・・・・それは時には傍から見たら子供みたいなプライドの場合も、弱い者を守ろうとする、カッコつけようとする、強がる、怖くないふりをする、奮い立たせる、戦略を練る、頑張る、努力する、秩序と共に在る、捨て身、知性、律する、切断する、温情、支える、打ち破る、勢い、膨張、正義・・・・・・・・さまざなまなワードで語る事が可能な僕ら、そこでの共感や承認には大きな喜びが付きもの。
僕らは子供の頃、ファルスを受け入れた、そのファルスに従いながら生きる、ファルスは自分の中だけではなく、自分の外側にもいくらでも強固に存在する、内在するファルスが共振可能なより大きなファルスに仕える事、役に立つ事、これもプライドにつながる。
男同士・女同士、での共感・・・・・・というか、共感と言うとただのテクニックに成り下がってしまいますから、だから分かり合う事、男同士・女同士で分かり合う事の中に本当の喜びの感覚を実感しやすいように思います。
なんか久しぶりにちゃんと書いたらやたらと長くなってしまいました、これがちゃんとと言えるのかどうかわかりませんけれど。
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