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出会いが全て
2018年04月22日 10:32生きる事は変わり続ける事、いくら頭で考えても自分が何になりたいか、などと言う答えは出なかった、正解は分からなかった。
人生の流れの中で偶然に、自分がなれそうな何かに出会う、そして勢いで? ノリで? 但し真剣に、その何かになろうとする。
その何かになろうとする過程は充実している、疲労や不安、苦しみすらも生きている実感、楽しい。
そうこうしながら充実を生きているうちに、その何かになってしまう。
なった事によって精神的余裕が生まれる、いらぬ思考が活性化する、なってしまったその何かに、自分は満足しているのか? しっくりきているのか? 居心地は悪くないか? これは自分らしいのか? などと言う事を考え始めた時点で実は、自分はなんの満足も感じていない訳ですが。
だからそれをいとも容易く、何の未練も感じないままに見限って、掃き捨てて、また流れの中で次の新たな偶然に出会おうと目論む。
この繰り返し、ずっと、この繰り返し、なった後もおかしな疑問が芽生えてこない何かに出会えるまでは、暗中模索、試行錯誤、そして支離滅裂。
そんな過程では決して自分を振り返ってはいけない、そんな事をしたら二度と立ち上がれなくなる、だから、自分を強く保ったまま、自己肯定感だけを頼りに前だけを向き続ける。
そんなふうに出会いと見限りを繰り返しているうちに偶然にも、そして幸運にも、居心地の悪くない場所に出会う事が出来たとしたら、その時初めて自分を振り返ればいい。
多分その時には、いくらでも後悔が湧き上がってくる。
反省とか内省とか、そんな理性由来でしかない綺麗事としての生ぬるさではなく、黒く渦巻く後悔、一切の事が取り返しのつかない究極的後悔。
もっと早く気が付いていればとか、あの時あの人の言う事を聞いていればとか、もっと勉強していればとか・・・・・・・取り返しのつかない事をいくらでも考えてしまう。
しかし、今までの数々の見限りの過程を通過する事なしには、今の場所にたどり着きようがなかった自分、今の場所にたどり着いたのは、経験して、腑に落ちて、実践して、失敗して、腑に落ちて、成功して、それは違うと気がついて、そういう様々な経験の結果として何らかを選択し、その選択の中で・・・・・・・・人はそれを導かれるようにとか言うのかもしれないですけれど、本当の事を暴露すれば、これもやはり偶然、偶然にたどり着けた、というよりは紆余曲折の結果として偶然にしかたどり着けなかった。
今振り返った場合にのみ、これらの過程は回り道と認識される、事後的に自分の歴史を振り返った場合にのみ、回り道を見出す事が可能。
回り道の効果として今の場所に偶然出会う事が出来た自分、その証拠に、学生時代の終焉に頭で考えた将来の自分とは全く違う自分に今なっているという事実、そしてありがたい事に、居心地の悪くない今の場所。
紆余曲折の末に、悪くない自分に出会えた後に、自分の過去を振り返ると必ず大きな後悔に苛まれる、そしてその後悔は、今の自分にある程度の満足を感じている、という事実の裏返し。
後悔をバネにこれから先、今の場所に自分の全てを注げばいい、それは一つの見方としては、常に湧き上がり続ける後悔を全力で否認し続ける為の症状として。
・・・・・・・・ここまで生きてきて僕は、人生ってこんな感じなのだと思います、全ては出会い、出会い次第、流れの途上で何に出会うか。
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