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出力問題ーー僕ら生命にとっての楽ーー

2018年10月11日 09:49

なるべく、エネルギー出力を低く抑えた方が楽、エネルギーの出力を低く抑えるのに一番いい方法は、何もしない事。
まったり、ゆったり、弛緩して、思考を停止しつつただ漂う、これが一番楽なのだけれどそこでは自分は生きているという実感はなかなか得る事が出来ない。
高揚、集中、喜怒哀楽という感情の大きな変化、喜びや痛み、ハードワーク、こういう何もしないという漂い続ける弛緩の対極にだけ生きている実感があるのでしょうけれど、そこでは常に心身の緊張を強いられる訳だから、楽ではない、高出力は楽ではない。
この出力問題というのは結構大きな問題だったりもして、何かをやろうという想いと何もしないで自分という生命にとって楽な場所に居続けたいという想いとのせめぎ合い。
振り返れば・・・・・・・学生の頃や社会に出てからの折々に、なにか頭の片隅にはなりたい自分的なヴィジョンがチラつきはしつつも、ただ、そこを直視して明確にするという事は自分を一本化して大きく動かなければいけなくなってしまうような気がして、そしてその時には間違いなく今の低いエネルギー出力ではいられなくなって、心身の緊張のもとで絶大なエネルギーを放ち続けなくてはいけなくなってしまう予感、それはとてもしんどいことに決まりきっているのだし。
だからチラつき蠢き続ける白い影をなるべく見ないようにしながら流れに身を任せ、ただしその流れというのは自分が見ないふりを続けているヴィジョンに微妙にごく僅かずつ接近可能なように思える流れを作為的に作りだし自分をだまし続け「ほら、この流れならエネルギー必要ないじゃん」とだまし続け。
何十年もそんな事を続けながらやっとの事で、学生時分から頭の片隅にチラついていた自分に同一化しつつある。
ただその同一化の事実というのは満足では決してない、というか大きな後悔でしかない、どれだけの回り道だったのか、どれだけの時間を無駄にしてしまったのか、自分はどこまで愚かなのか、もっと早くにビジョンを直視し出力をあげて楽から離脱する覚悟が芽生えてさえいたら、もっと先まで行けたかもしれないのにとか。
そんなやり場のない想いを断ち切るためにのみ「人生に無駄な経験など無い」とか「あの頃があったからこそ今がある」とか、そんな常套句が周到に用意されているのでしょうが、ただまあ、そう、今となってはその後悔をエネルギーにして全てを取り戻すかのように1225キロで進み続けるしかない・・・・・・ってシンカリオンかとか思いつつ、ああそう、若いうちから自分なりの進化理論を脱構築し続けていたら、とかは実際に思います。
たぶんできるなら、もしかしたら、エネルギーを低く抑えて楽をする事なく、さっさと全力で高出力で緊張の中に突入していった方がいいのかもしれません、人生は時間との勝負でもある訳ですから、たかだか80年とかそんな、振り返ればあっという間の感じの、だから本当は、駄々こねている時間なんかないのでしょうね。

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