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分からない事に耐える
2019年10月18日 11:22考えないで生きる事に慣らされている、教科書とか本とかネット上の情報とか、それらは一読すれば誰にでも理解出来るように工夫された、時には策略として提出された、平易な言葉で書かれている、時代錯誤的啓蒙。
教科書を読む、というか教科書に書かれている内容を覚えるという行為は、知識を吸収するためなのでしょうから、やはり一読して理解可能な言葉で書かれている方が望ましい・・・・・・・覚える事と考える事は違う。
教科書を読む、知識を吸収する、いや暗記と言った方が適切か、知識を、データを自分にインプットする、その事と自分の頭で考える事とは違う場合もある。
考えないままに生きる方が楽なのでしょうか、現象に対して反応する、ある条件に対してある反射をする、経験は切り捨てられ続け、決して省みられる事はない、内省はしない、フィードバックは決して機能しない中で。
・・・・・・・・「生きる力」とは何なのでしょうか。
考えるから生き辛くなってしまう、と言う人、それはその人の本質ですね、自分の頭で考えて判断理解しようとする、行き詰まる事も時々あります、考えてしまうのがその人の特性なのであれば、考えて、もっと考えて、突き破ればいい。
その為には考えないで生きる事を目的として用意されているテキストではなく、分かったような気にさせる為に書かれているものではなく、分からなくする為に書かれているテキストを手に取った方がいい・・・・・それは単に情報量が圧倒的に多いからと言うだけの事なのですが・・・・・何故わざと分からなくする目的で書かれているのか、それは自分の頭で考える為、1ページを理解するのに数日、ひどい時は数十日を要するテキストに向き合って自分を鍛えればいい・・・・・・・常識と思わされていた事を転覆させる、思考の底を抜く、転回、今の時代には流行らない事ですが、考える力とか生きる力、本当の生きる力、というのはそういう経験を通じてしか得る事は出来ないようにも思えてしまいます。
生きるのに必要なのは気合いや根性、それは間違いではない、分からない事に分かるまで耐え続ける、分かるまで考え続ける事に必要なものこそ気合いや根性、あと忍耐力も鍛えられるのかもしれません。
考えないままにただ、みんなに従っていられるのならそれでいいと思うのです、でももしそうではないのなら、自分で考える本当の力を身に付けるしかないのでしょうしね。
データのインプットをないがしろにしていい訳では絶対にないですね、インプットがなければ考える言葉がない訳ですから。
だから自分にデータをインプットして一旦分かったような気に自分をさせた上で、その後敢えて、分からなくさせるテキストに触れる。
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