神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


切断・・・・和解もしくは破壊。

2019年10月15日 20:43

あれはなにACの文脈なんだろうけれど「親を責めてもいいんですよ」とか・・・・・・・・いったい何のことだか分かりませんが。
責めていい? 何故でしょうかそれは? まあ、百歩譲って数回くらいはいいとしても、ただそれは正々堂々と対峙する為、そこで親が引いてくれれば後は議論、決して憎しみをぶつけ続ける必要はない、引いてくれたその先は自分自身の形成に費やした方がよっぽどいい。
対峙して、思いのたけをぶつけて引いてくれればそれでいいし、逆に親側が自己防衛に走るのだとしたら、そこで見限って切断すればいい。
一番よくないのは親が神妙に聞いているのをいい事に、幼少期の事実についての感情をぶつけるだけではなく、自分の今の環境で受ける全てのストレスを八つ当たりとしてぶつけ続けるという奇妙な流れ。
いつ終わりが来るともわからない、これは親側もたまらんですよね。
和解か破壊か、その後は自分の想いを処理しながら、一人の大人の自分として、自分に責任を持つ。
そうしないと怒りやストレスをぶつける対象として、八つ当たりの対象として、なくてはならない存在としての親・・・・・・に、依存する、自分の感情処理の道具として、なくてはならない存在としての親、という意味での親に対する依存。
自分は独立した一人の人間である、そこに親などは関係ない、と思えるようになるプライド、いずれにせよ切断は必須。
対峙する、まずは感情をぶつける、親が引くまで根気よく議論を重ねる、親が引く、親を切断する、自分が一個の個人として成立する、再生成・自信・プライド・目の前が開ける、紆余曲折の中で限りなくこのセリーに接近した方がいい、それが不可能な親なのであれば見限ればいいし、姑息ににじり寄ってくるたびに侮蔑と共に瞬殺し続ければいい、そして今から他の場所に親を求めればいい、同一化とまでは言わないにしても引き継ぐ心性は自分自身で選択する。

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