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到達不可能

2017年04月02日 09:12

あれは、30代の後半の頃だったのかな、当時の事、自分ではよく覚えていないのですが、目標があって・・・・・それは今振り返って考えれば「ある程度の、身の丈に合った目標」でしかないようにも思える目標なのですが。
それに向かって夢中になっているうちに、何故かその目標が達成できてしまった。
当時の自分としては、それまでの人生の中で初めて出来たリスクを伴った大きな目標で、それを達成する事だけが自分の生きている意味、自分が存在している意味はその一点に集約される、それは紆余曲折の中で初めて見出した大きな目標であるように思え。
それが達成できてしまったという事は、目標達成の充実感ということ以上に、逆に考えれば、自分の生きるべき意味を失ったという事、目指すべき場所がなくなったという事。
その時の状況を自分ではよく覚えていないという事は、これは相当夢中になっていた、充実感の中にいた、だから解離していた、長い間、日常的にフローが続いていたという事なのかもしれないですけど。
達成後の自分というのは、ほんと、よく覚えていないのです、なにかすごくつまらなそうな顔を、いつもしていたらしい、ため息ばっかりついていたらしい、そしてポツンと「死のうかな・・・・・」とか言ってたらしい。
しつこいようですけど、自分では全く覚えていないのですが、何度かそんな事を口にしたらしい。
目標や目的を見つける・・・・・そこに自分の存在の意味を見出す、喜びと共に・・・・・・そこに向かうという事は大きな充実感を伴う・・・・・目標が達成される・・・・・生き甲斐、生きている意味が失われる。
あくまでも自分の場合は、という事ですが、目標に向かっている過程こそに大きな充実感や生きているという実感が存在する。
そうではないのなら、目標を達成できた喜びに浸りきって、幸せの感覚に浸りきって、達成した自分に満足していればいいだけの話で。
でも、それが出来ないからこそ、喪失体験からの「死のうかな・・・・・」なのでしょうし。
過程にこそ、意味や生き甲斐があるのでしょうか・・・・・・。
目標や目的、これは大きな欲望と言い変えてもいいと思うのですが。
目標を見い出してそこに向かう自分に意味を与える、向かう過程に大きな充実感を感じる、達成感は瞬時に満足感というよりは喪失感に変換されてしまう、存在意義や自分の意味を見失う、結果的にメランコリックに。
充実感の成分は楽しいという事とは違っていて、チャレンジとか生みの苦しみとか、だから苦痛や苦悩を伴っている、ただ夢中なだけという事なのかもしれませんが。
まあ、その後もこうやって生き延びている訳ですから、新たな存在の意味を見い出しているのかもしれません。
あくまでも自分の場合はということですが、目標は到達不可能なものがいい、謙虚になれますしね。


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