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半分は屁理屈ですが・・・・・・
2017年07月03日 09:07ビジネスとか、対人関係とか、さまざまな自分に起きた現象に対応する為に、何らかの学問を勉強をする、その学問というのは、今更心理学でもないのだろうけれど、でもやっぱり心理学的なものや心理学から派生したようなものが筆頭にくるのですかね。
心理学・・・・・あくまでも「学」ですから、それは一般論の範疇を出ないものであったり(と言うより一般論に人を追いやるものであるとも言えるのかもしれませんが)、社会に上手に対応するにはどういう心理でいるのが望ましいのかといった理想的モデルであったり・・・・・・とは言いつつも、この理想的モデルを語る時の理想というのは、誰にとっての理想なのか、人間個人個人についての理想なのか、もしくは社会全体としての理想なのか、社会全体としての理想とは考えたくはないですね、それは社会にとって都合の良い理屈であるとも、万が一言う事が出来てしまうのだとしたら、それはそれで怖いようにも思え。
個人個人の理想なのだとしたら、個人というのは考え方や状況は人それぞれ違うのでしょうし、しかしそれにもかかわらず、考え方や状況が違う人達に対しての唯一の理想が存在する、というよく分からない事にもなってしまう、それでは画一的人間を作る事が目的のようにもなってしまったりもするんでしょうか。
世の中に対応するにはどういう心理でいる事が望ましい、というのも、どうでしょう、世の中というのは刻一刻と変化もしくは進化している訳です、ということは、望ましい在り方というのも当然刻一刻と変化してしかるべき、にもかかわらず心理学が刻一刻と進化しているのかと言うとそうでもない、過去を振り返った時、時代背景に合わせて「学」の在り方は変化するわけで「学」というのは時代の産物でもあるのでしょうし、これは多くの「学」がそうですよね、今まで常識とされていた事が、新たな発見や環境変化によって刷新される事もある、哲学一つを取ってみてもその状況というのが非常によく分かる。
だからどうなのかな、一旦全てを勉強して頭に入れた上で、あとは人間の根源として不変のように思えるものだけを基盤にして、その先は自分の頭で考える力、みたいな事にもなるのだろうけれど。
ああ、そうだ、これは余談ですけど、ビジネス上で心理学的なものを生かす時というのは、あれなんでしょうね、有能な多くのビジネスマンがその「学」を共有しているのであれば、お互いの手のうちは分かっているという事になってしまうのですね、だから「学」を学んだうえでその「学」を出し抜く力が必要になるんじゃないですか。
まあ、なんらかの「学」と呼ばれる一般論を自身に取り込み規定する、もしくは自分にシバリを設ける、これによって生きやすくなるのであればそれでいいのでしょうし、もしそうではないのなら、やはり自分なりのものを探った方がいいのでしょうし。
どちらの場合も、とりあえずはこの「学」と言われるものを学んだ上で、自分に合う部分は取り入れて、あとは随時構築した方がいい。
「学」を学ぶことは絶対に大切です、それは知らないという不安を払しょくする為に、不安は迷いを生みますからね。
そうですね・・・・・屁理屈もかなり混在していますが、あまり自分を規定審判し過ぎないようにした方がいいのかな、とは思います、生きやすさを求めて、逆に生きづらくなってしまったら何にもなりませんし。
心理学ひとつとっても色々な種類があるのだし、まして学んだ「学」だけを用いて考えるという事は、一般論の範疇でしか考えられないという事、本当は一般論に当てはまらない事が起きた事によって悩みが生じたにもかかわらずそれを一般論を用いて解決しようと試みる、もしそういう事であれば、解決の仕方に迷ってしまうばかりという状況も、もしかしたらあるのかもしれません。
勿論当てはまる時はそれでいい訳ですね、何の問題もないです。
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