神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


名付け

2016年09月17日 09:01

科学的な世界では、というか今の時代は当たり前のように科学的な世界という事なのでしょうが。
新たなものや現象を発見した学者さんが、そのものや現象に名前を付けたりもしますね。
そんな事に話しが及んだ時「あら、人の名前って?」みたいな、余計な事を考えてしまったのですが。
通常、名前を名乗る時って、誰でもなんの疑問も持たずに、当然自分の名前を名乗る訳ですが、考えてみればこのなんの疑問も抱かずに名乗っている名前というのは、自分で一生懸命考えて自分で自分に名前を付けてどこかに登録した訳ではなくて、自分を発見した人?第一発見者?まあ、親であったり、親族であったり、そういう人達が、名前を付けてくれる・・・・・・ということは、自分の第一発見者である親や親族に名付けの権利が与えられる、といったようなしきたりが存在している?
そして、名付けられた個体はなんの疑問も抱かずに、当たり前の事としてその名前を受け入れ、自分の名前を聞かれた時には、自然とその名前を人に知らせる。
う~ん、いや、なんかほんと、余計な事書き始めちゃったな・・・・とも思いますが・・・・・・でも、この名付けというのは、冷静に考えてみるとかなり凄いことなのかな、なんて事も思わないでもないです、当たり前の事として誰もが受け入れている、異議を唱える余地の全くないような事ではあるのでしょうが。
人は新たなものを迎え入れる時、色々なものに名前を付けますね、ペットもそうでしょうし、ぬいぐるみや人形とかも、でもこういうのは擬人化の手続きを踏んで愛着を持つ事が目的であったりもするのでしょうが。
そうですよね、だから僕らに付けられた名前とは、名付けの動機が違うのかもしれないですけど。
愛情に溢れた優しい気持ちで、希望と共に付けてもらったのが、僕ら一人一人が持っている、名前というもの、という事なのでしょうね。
僕は若い頃、まだ10代位の頃でしょうか、チラッと、ちょっとだけ、自分の名前を名乗る時に、違和感のようなものを感じた時期はあったように、記憶しているような、記憶していないような、今となってはもうよく覚えていませんが。
いずれにしても、名乗る時には、胸を張ってプライドと共に名乗りたいですね、と、まとめようと思います。
出生間もない個体に名前を付ける目的は、所有する事ではなく、想いを乗せる? 的な事になるのでしょうね。

—————

戻る