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問題を客観視する事が難しい時には
2015年08月07日 20:45なにか悩んでいる時に、自分自身で解決方法を模索する。
スパイラルに陥るというか、堂々巡りになってしまうというか、一生懸命考えれば考えるほど、混乱してきて、そうしていううちに、どんどん答えのありそうな場所から離れていっている気もしてきて。
こんなような事も、ごく稀にはあるのかなと思います。
突き詰めれば、極論ですけど、この状態って、なんか自然な形なのかなって思います。
問題を解決するという事は、問題を客観的に見なくてはいけませんね。
客観的にみるという事は、問題を抱えた自分から離れて、もう一人の自分を作りださなくてはいけないんでしょうが、自分というのは一人しかいません。
では、問題だけを自分から引きはがして、客観的に検討すればいいのかというと、問題であると感じているのは自分自身の想いを通して感じている事ですから、極端な話、自分から引き離したとたんに自分の問題ではなくなってしまい、そこで解決の糸口が見つかったとしても、その解決方法を実践する段階で、もう一度その問題を自身に取り込んだ瞬間に、そこで自身の想いが重なってきて、せっかく見出した糸口に、違和感を感じてしまうという事もありうる。
主観的だからこその自分の問題な訳で、客観視したら、その問題に対して自分がどういう思いでいるのかという大事な部分が欠けてしまうっていう言い方もあるでしょうか。
自分の問題というのは、自分の事である以上、自分の想いを通して語るのが自然ですし、自分の想いを無視してしまったら、もうそこで、自分の問題とは認識できなくなってしまう場合もあるのかもしれません。
こういった感じで、問題の大小に関わらず、客観視するのが難しい場合もあります、そういう時は、問題を自分の想いを通して語る自分以外に、冷静に客観視できる人を用意して。
自分、自分以外の人、思考や語らい、この三つが揃えば解決方法が見えてくるんだと思います。
自分の問題に、自分一人で向き合うという行為は、鼻先に鏡を持ってきて、顔全体を見るような、難しい状態になってしまう事もあります。
想いが強ければ強いほど、鏡と鼻先の距離も近くなってくるように思います。
・・・・なんか、すいません、けっこう意味不明ですよね、脈絡のない、へんてこな言い回しの文章は、得意技&必殺技でして・・・。
話し言葉だと、自然に判りやすい言葉で言えるんですけど。
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