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問題解決なのか、癒しなのか。

2018年03月11日 12:28

今の時代の日本で意味するところの「癒し」という事と「問題解決」という事は、文脈が違いますね、どちらも疲れ果てている事実には変わりはないのかもしれませんが。
そういえば少しの間連絡が取れなかったヤツから電話がきていろいろ話をする中で「なんだよ、ヘコんでたのか? そして今この瞬間もヘコんでんのかっ!」といったら「べつにヘコんでねーよ、寝込んでんだよ」と切り返された事がありましたけど、まあそうなのかな、ヘコむと寝込む、意外なrhymeにちょっと感心。
話が逸れましたね、具体的な問題を解決したい時、癒されてもしょうがない、と言うか問題を先送りにする事実の中では癒されようがない。
仮に、癒されたことによって問題を解決する事が出来たように感じる事ができたのだとしたら、それはそれほど大きな問題ではなかったという事、人生の一大事ではない。
その人の、その人なりの一大事に対峙する時、問題に向き合い解決しつつある要所要所で随時、肯定され励まされる事、これは癒し的なものにはつながる。
まあそう、一大事に向き合う時、癒しなどという概念はどこかに吹っ飛んでいる事が多いし、もっと言えば癒しがどうのこうのなどという事を毛嫌いしている、強く在りたい人もいる。
癒しの文脈に親和性があるか、あくまでも現実対応優先なのかの違いかもしれないですけれど、どこで生きているかの違い。
一般的には、癒しは身体的であり想像的そして母性的、現実対応は言語的であり象徴的そして父性的、みたいな事も古典としては言えるのかもしれませんが、その場に留まって抱きしめ続ける、一緒にその場から這い上がる・・・・・・・なんか話が逸れました、すいません。

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