神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


2016年07月28日 21:49

ちょっと浅い話になってしまいますが・・・・・
嘘というのは、嘘をついた瞬間から、自分を規定してしまうもののように思います。
なんというか、自由で素直な選択を続けられなくなるというか。
なるべく自分の想いに近い言動を続けていれば、この先には自由な選択が広がっているのかもしれないですけど、嘘をつくという事は、その嘘によって自分のこれからの行動が自ずと規定される、縛られる。
そうしないと人から「嘘つき」って言われてしまいますからね。
「こうしてみようかな」という想いが湧き上がってきたとしても、ついた嘘に整合性を持たせるために、その想いは断念せざるをえない、そうか、だから結果的には自分の正直な思いにも、というか自分にも嘘をつかなくてはいけなくなるということなのかな。
人に嘘をつくという事は、その嘘に整合性を持たせるために、この先自分の中から湧き上がってきた自由で正直な想いを封じなくてはいけない、たとえそれがかけがえのないような想いであったとしても、嘘つきと言われない為には見てみぬふりをしなくてはいけない場合もあって、それは結果的には自分にも嘘をつく事につながる、そして嘘をつき続ける事によって、自身の自由な選択の幅はどんどん狭まってゆく。
嘘によって選択が狭まって最後には袋小路という事になるのか、素直で正直でいて選択の幅を広げ続けるのか、の違いという事になるのでしょうかね。

人が自分に対して嘘をついているかどうかというのは、割とどうでもよかったりするんですよね(これは個人的な考えでしかありませんが)、嘘が判明したとしても、それはそれだけの関係でしかなかったのでしょうし、それより自分が嘘をつかない事が大事なんでしょうね、それは自分にも嘘をつかないことにもつながりますし。

・・・・・自分に嘘がつけないからこそ悩む、という方もいらっしゃいますけどね。

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