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執着のその先で
2018年08月04日 10:04愛とは執着、奪う、支配する、思い通りにする、所有する事、それが上手くなされればひとまず満足するのだろうし、もし意に反した場合は陽性が陰性に反転して苛立ちや思い通りにならない腹立たしさを感じる、それが続けば憎しみに変わる、いともたやすく向ける想いは反転する、陽性陰性、反転し続ける、こういうのは多くの人が経験済みの事。
自分の想いを相手に押し付ける、という執着、依存、そこでは押し付けられた相手は窮屈さを感じる場合もある、相手によって規定される自分、もしかしたら、本当の自分ではないただ単に、相手が気に入る、相手の期待に反さない、相手の怒りに触れない自分を演じているだけの場合もある。
その結果としてどんどん委縮してゆく、本来の自分との乖離が起こる、その愛という美名の元で生きているのは誰なのか、抑圧され続ける潜在的な自分・・・・・・・・というのは、抑圧され続ける本当の自分の想い。
ここには尊重は無い、という事は愛には互いを尊重するという概念は無いという事なのかもしれないですけれど。
その執着を乗り越えた先にのみ、相手を尊重し、その人の人格を100%受け入れ、相手を自律作動する一個人と認め、理想的効果的なカップリングを。
本当に愛しているのであれば、執着を乗り越えてこの領域へ足を踏み出せれば。
互いの成長というのは、ここの領域にのみ存在するのでしょうね。
規定するのか、解き放つのか、本当は相手の刺激によって潜在性がいい方向へ活性化される状態が一番いい。
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