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多重人格的もしくは多重見当識的に
2018年10月24日 10:33社会の中で生きる、生き延び続ける、そこに存在するのは、いくら否定を試みようとしても失敗に終わる、やはり競争や比較や評価という現実。
それを否定する為にオンリーワンとか、かけがえのない僕ら一人一人などという虚構ワードも用意されている事はいるのだけれど、そてはただ社会の現実をポエムで覆っているに過ぎない事は誰もが本当は分かっている。
万が一社会の中において一人一人がオンリーワンであると、社会から認識されているのであれば、それは交換不可能という事になってしまうのだから、一人が欠けたらその社会が成り立たなくなる、ただ、そんな事実はない訳で誰だって社会から見たら交換可能。
ああ、話が逸れました、こんな事を書こうと思った訳じゃないです、競争や比較や評価、要はそこに確かに存在しているのは戦いなのかもしれない。
戦う時はどうするのだろうか、どういう戦略を練るのだろうか、現実的には言葉は悪いが・・・・・相手の弱点を突くというのは当たり前。
弱点とは何だ、何が弱点になりうるのか、それは一つにはアイデンティテイとか言う言葉によって言い表される、いつの間にか練り上げられてしまった自分の虚像という弱点、これは高次の戦いになればなるほど。
曲げない部分があるのであれば、そこを巧妙に突けばいいというのは常套手段ですしね。
アイデンティテイは自分と同等以上の相手にとっては、分かりやすい弱点にもなりうる。
アイデンティテイなどは本当は意識すらする必要もないのだけれど、もしそれを意識しながら生きる事が喜びにつながるのであれば、あちらこちらに拡散させてしまえばいい、唯一の芯は弱点になる可能性を十分に孕んでいる、ていうかわざわざ戦いを持ちだすまでもなく、そもそも生きづらいんじゃないですか、自分はこうだとか決して曲げない事って、柔軟性は大切です。
多重人格的に生きるか、もっと言えばそんな事は意識すらしないで生きるか、その時に大切なのは自分から湧き上がる感情だけは大切にするという事。
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