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夢の途中

2016年10月27日 09:21

日常において、普通に生活している中では、何となく自分は平均寿命くらいまでは生き続けるんだろうな、などという事を、うっすらと思っているのか、それともそういう事は意識しない中で、日々生活しているのか・・・・・・たぶん、意識しないようにして生活している中で、ふとそんな観念にとらわれた時に、なんとなく平均寿命を持ちだしてくる・・・・・そして「なんなら平均寿命超えてやる」とか、さしたる根拠もない中で「まあ、自分は大丈夫」とか。
そんな自分なりの日常を過ごしつつも、ニュースやさまざまな情報に驚きと共に触れる時、これはやはり複雑な想いも湧き上がってきたりもします。
自分は何を成してきたのか、そしてこれから何を成そうとしているのか。
驚きと共に聞かされる情報の多くというのはーー志半ばでーーという事も多いように思えますし。
というか多くの場合、どんなに想像を巡らせてみても、自分に置き換えて考えてみても、どんな時でも、一瞬の満足はあるにせよ、常に完結の途中というか、志半ばであるかのようにも思えて。
要は、人はいつどうなるか分からない中で、でもその事実と共に在るのはやはり、ちょっと怖いですからね、その想いにはなるべく目を向けないようにしながら・・・・・自分に関して言えば、それも少し露悪的に言ってみれば、日々を否認と共にどうにかこうにかやり過ごしている、それで最終的に自分が納得できるのか、もしそうではないのであれば、事実を自分の元に引き寄せて明確な意識のもとで・・・・という事の方が、満足を得られるなどという事は決してないにしても、後悔は少なくて済むのか。
目標の達成や問題の解決や物事を完結するのは勿論大切な事ですが、それに目を向けて、自分がそれと共に在ろうとするという過程が、後悔を少なく生きるという事なのか・・・・もし誰もが、いつどうなるのか分からない中で、何の保障もない中で生き続けているのだとしたなら。
もし自分が、志半ばで、という事になるのだとしたなら、と言いますか、否応なくそうなるしかないのでしょうが、目を向け、引き寄せ、真摯に向き合い取り組む過程にこそ大きな価値がある、という事でしょうか。
一般的に言われる、日々を無駄にしないようになどという事ではなく、自分から目をそらさないとか、そういう事なのだと思いますが。
その時の状況によって自分にとって必要と思える事、それはゆっくり休む事、思い切って行動する事、肯定感を得る事、問題を直視する事・・・・・これはだから、自分から目をそらさな事とか自分と共にあろうとする態度とか、そんな感じなのかなと思いますが・・・・・その時に必要な事を自身の了解や納得と共に。
ちょっと、こんなような事に想いが及びました。

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