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好きな事で飯が食える訳じゃない?
2018年01月09日 11:46「好きな事で飯が食える訳じゃない」とは昔から言われるものの、好きな事で飯が食えた方がいいんじゃないでしょうか、やっぱり、自分の人生と言う事を考えた場合は特に、取り返しのつかないものですからね、特に、過ごしてきた、経過した、人生の時間というものは。
飯を食うとは、経済的に自立するとかそんなような意味なのでしょうけど。
何らかの、だからこれは仕事、何らかの仕事に従事して貨幣を獲得する、それはやはり、生き延び続ける為、生活にはお金が必要なのですから、今はやりの自給自足、あれだって家族がいれば教育にかかるお金とか、病気になれば治療費とか、やっぱり必要になる、そんな不安を払拭するためにはギリギリ最低限のお金ではなく、やはり余裕も必要、だからもしかしたら貯金すら必要なのかもしれないし。
なんか話が逸れました、この癖は相変わらずです、だからそう、好きではない事を、場合によっては我慢しながら、自分を押し殺しながらやる、そうやって生活の糧であるお金を獲得する、これは、割り切れるのか、なんかどんどん心が荒んでゆきそうな気もしないでもない、ただ、そこを埋める役割を果たすのが趣味とも言える。
昔はね、僕らの時代もそうだけれど、学校を卒業したらところてん式に就職、そこに大した思考や戦略はなかった、なんとなく偏差値的なもので行き先が決まり続けていったようにも思います。
この偏差値ならこの高校、この高校でこの位の成績だったらこの辺りの大学、その大学の入りやすい学部は、偏差値は、理系と文系は明確に別れてはいましたけれど、法学部より最近できた経営学部の方が入りやすいかなとか。
で、大学卒業に合わせて様々な企業、というか、今ほど沢山は受けなかった、何社か学力に合わせて、それが大企業なのか中小なのか、公務員なのか、そんな中で何かに情熱を傾けていた訳ではないし、趣味が高じてなどと言う事もないし、そう、学生の頃趣味などと言う概念は自分の中にはなかった、車、バイク、サーフィン、スキー、あの頃はカフェバーやファミコンなどというものも出来て、だから趣味がどうこうじゃなくて、ただその時のムードに呼応するように遊び呆けていただけでしかない、何の明確な意思も情熱もやりたい事もないままに、いやいや、そんな事に意識を向ける空気でもなかったようにも思います、時代の空気の中で万能感のもと漂い続けた自分。
そんなこんなで「おっ、ラッキー」みたいな感覚で採用された会社で、根拠のない自信だけを頼りに働きだす、そうこうしているうちにだんだんと見えてくることもある、自分は本当は何に向いているんだろうかとか、何をやったら楽しく働けるのだろうかとか、生まれて初めて、やっと自分に目を向ける瞬間、あまりにも未熟過ぎる自分。
そこで行動を起こすのか、その場に留まるのか、その場に留まる場合は自分の置かれた環境で野心と共に頑張ろうとか、この仕事に喜びを見出そうとか努力する、そんなような過程を通過儀礼として、又はそれに絶望した時も含めて、多分これは最初は主観的に、もしくは多くの諦めを代表して誰かから、何故か自明であるかのように発せられたのでしょうか「好きな事で飯が食える訳じゃない」と、自分たちがそうだったのだからお前達だってそうだ、それが社会というものだ、と指導してくれた。
でも、そんな風潮の中でも好きな事で飯を食おうとした人だっていたんじゃないのかな、収入が限られていたのなら生活レベルを落としたり、なにか副業をやったり、好きな事の延長線上で新たな仕事を創造したり、関連する職業に収まったり、もしかしたら意に反して大成功、時代がやっと追いついたとかも。
だから、高度経済成長からバブルに至るまで、庶民的平均的右肩上がりを時代の空気と共に味わい尽くす事と引き換えに、好きな事を仕事にして、それは苦しい事ももちろんある訳ですけれど、収入が少ないのかもしれませんから、ただ好きだからこそ工夫できるのだし、苦しい事も振り返った時には充実以外のなにものでもないのかもしれないし。
納得というのは後からやってくるものだと思うんですね、振り返った時「あ、これでよかったんだな」と事後的に。
納得の上で行動する、何かを選択するという流れ以上に、好きだから選択して夢中でやっていて、いつの間にか時が過ぎ去って、振り返った時に納得がやってくる。
ああそう、でも今はこういう時代になってきているのかな、こうやって思考に嵌まり込んで書いていたら、これは、もしかして、ただ単純に今の時代を描写しているだけになってしまっていたのかもしれません。
ところで、好きな事で食っていれば趣味って必要ないのかな、とかもチラッと思います、趣味、余暇を生かせる自分が興味を持てるもの、夢中になれるもの、人生を豊かにするもの・・・・・・・好きな事をしているのだとしたら、空いた時間には新たな工夫とか勉強とかしたくなるのかもしれないし、第一もうすでに自分が興味を持てて夢中になれるものと共に在るのですから、それは既に豊かであるという事、余暇などという感覚すらないのかもしれませんね。
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