神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


子供の頃の

2018年12月20日 11:44

僕らは訳も分からずに生き続ける中で最終的に何処に行きつくのかというと多分、何処にも行きつく事はない。
一生をかけて彷徨い続けて、その彷徨いの中で何かを拾い集めて、拾い集めたものを大切に掌に包み込んで自分に還ってゆく、ただそれだけ。
僕らは成長段階で圧倒的に何かが欠ける、それは満たされなかった何か、だから真円ではないない、月が欠けるように満たされなかった想いが欠けると言った方がいいか。
その欠如に当て嵌まるものを人生の彷徨いの中で拾い集めて、最後に自分がもといた場所に戻り、欠けた部分に拾い集めたものを嵌めこんで、真円を完成させようとする。
たぶんそう、これは全て幻想でしかないのでしょうけれど、ただそのように生きるより他に、より良く生きる方法というのは見当たらない、そして欲を言えば、人生の終盤だけではなく人生の途中途中で折に触れてもといた場所に立ち返って、今現在拾い集めたもので自分の欠如を埋める事が出来るのかどうか確認し続けた方が、その方がもっと良く生きられるのだと思いますし、だからこそ二十世紀には精神分析が発展したのでしょうし。
これは全てに当て嵌まる事だと思っているので、抽象的にしか書けませんでしたけれど。
言い方を変えれば、満足を得た、成功した、行きついたと思った先で待ち受けていたのは、満たされる事はなかった少し悲し気な、子供の頃の自分。

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