神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


存在の証

2016年04月26日 09:47

小言を言われながらも、注意指摘されながらも、なんとな~く尻拭いしてくれているような。
怒られているようなんだけど、上目遣いでチラチラ見てみると、なんかその人、怒りながらも生き生き、というか甲斐甲斐しく、というかテキパキと、見ようによっては生き生きと嬉々として、面倒見てくれてる・・・・の?
って事は今のこのありのままの自分的なものも、そう悪くもなくて、受け入れてもらえちゃったりもするのかな。
それはそれで、なんか行為を否定されつつも存在は肯定されているような気もして、試しにもっと小言を言われるような事をやっちゃってみようかな、と。
で、実際にやってみたら、やっぱり強烈に小言は言われるんだけど、よ~くその人を観察してみると、やっぱりなんとなく嬉々として尻拭いしてくれているような、こんな自分を受け入れてくれているような。
・・・・・そんなこんなの後に、小言を言われる自分、注意指摘される自分、こういった自分を表現する事こそが、自己表現のあり方? 存在意義?
みたいな価値観が構築され、それを反復し続ける。
「小言を言われる自分=存在の証」みたいな感じでしょうか。
存在の証は、大人になるにつれさまざまな変形を被ることもあります、と言っている僕自身も変形を被っている自覚はあるのですが、まあ、なかなかねぇ~。

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