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完璧であるという絶望
2017年03月18日 09:13社会でも、物でも、人でも、なんでもいいのですが・・・・・・・完璧な何かがあったとして。
その完璧と対峙した時、そこにどのような感想を抱くのか?
魅入る、いだかれたい、守られて安心したい、所有したい・・・・・・・と、一瞬だけ思うのかもしれないですけど、その後にすぐ、絶望がやってくる。
改善や変革を必要としないものに対して、ただそこで身を任せて安心していればいいのか。
改善の余地があるからこそ、改善を成し遂げた先を想像して希望を持つ事が出来るのでしょうし。
改善の余地のない完璧なものに対峙した時、なにもする事がない、なんの工夫もほどこす必要がない・・・・・・という失意が芽生える。
完璧なものにに対峙した時、絶望にとらわれる。
仮に、完璧な社会というものが存在したとして(実際にはあるわけないですけど)、そこにはなんの改善の余地もなく、より良くなるという希望を持てないのだとしたなら、その完璧な社会に僕らが見るのは退屈?惰眠?というより絶望、とか。
・・・・・・ただの極論ですが。
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