![](https://72f40c5f3f.clvaw-cdnwnd.com/63420bbf4d844e934f7efca6aadf1068/200000037-f10c2f2044/50000000.jpg?ph=72f40c5f3f)
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
宣言の先延ばし
2021年11月29日 18:29自己同一性、アイデンティティとは言われるものの、今一つハッキリしない概念であるかのように、もっと言えば空論であったり霧散し続ける幻想であるかのような、そしてそれをいい事に宣言を先延ばし続けているのかもしれませんが。
表面的に言えばアイデンティティ・カード、いつの頃からか会社員が首からぶら下げているIDカード、ここには「私は〇〇である」と明記されている訳ですから、社会的なアイデンティティというのは、その札に依存すればいいのかもしれませんけれど。
表面的解釈に留めておけばいいものを、どうしても、その社会的立場をかいくぐって本質的なものを見出そうと躍起なってしまう。
自分は〇〇である、この○○に当て嵌まるものに満足しているのであれば、胸を張って高らかに宣言する事も出来る、ただ、満足の先で待ち受けているのは絶望でしかないのだけれど。
自分は、何を成してきたのでしょうか、そしえその延長線上で自分は今、何者になっているのでしょうか、この事に想いを寄せる時、奥深い森の霧の中に自分の輪郭を纏った明確な濃灰色の陰を見て取る事が出来る、そしてそれを慌てて否定する・・・・・・・・・結果、その影は濃霧に溶け出して細かな粒子となり、跡形もなく消え去ってゆくという・・・・・・・・・・・そして結論はどこまでも、先延ばしされる。
—————