神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


ポンコツとして

2017年12月27日 17:58

ありがたい事に定期的に頻繁に、障がい者と一般的には言われる人達が暮らす場に関わらせてもらっています。
障がいといっても知的の方もいらっしゃれば精神の方もいらっしゃる、重さも全く違う、時には妄想が全開になる場合だってある、診断も生い立ちも人それぞれ全く異なっている、診断は仕方がないのですね、福祉のラインに乗ってもらうには診断は必要な事。
そこで暮らしていらっしゃる皆さんにはカウンセラーであるとは言っていないので、ただのポンコツおじさんとして関わらせてもらっています、だから身の回りの事なども勿論、手伝いが必要な場合はやらせてもらう、ただ僕の場合は話を、これは取り留めのない話を、かなりの時間を割いて、ゆる~く談笑しているという事が多いです。
そんなふうに障がい者と言われる方々と接していてつくずく思う事、そして使命感すら湧き上がってくる事、それは・・・・・・・・・・などという、ありきたりで寒い事を僕が言うはずもなく。
人と人、相対する時、とにかく、尊重されるべき一個人と尊重されるべき一個人でしかない、当然そこにはリスペクトが介在している、相手側はどうか分かりませんが、少なくとも僕側は間違いなくそう、彼ら一人一人は僕の知らない事を知っている、僕の考えの及ばないような事を考える、損得関係なしに真心のまま行動できる、一人一人を見渡してみて、みんなまだ若いけれど、当たり前の事ですけれど僕にはない大きな魅力を持っている。
逆に、突拍子のない事を言いだしたとしたって、それだってよくよく考えれば「ああ、おれもほんとはそんなふうに思ってるな」などと気付かされる事はざらにある、だから彼らは自分の延長線上、それは時には自分より優れているという意味で、自分のもっと先に在る、スペクトラムとして同一線上にいる事は間違いない、統合失調症の妄想だってそう、文脈を探し当てさえすれば共感は十分に可能、というか無条件での共感しかない。
だから、一緒、ただ人と人、一般的な社会でも人と人は助け合う、補い合う、それと何ら変わりはない、彼らにもし手伝いが必要な事があったとしたら当たり前の事として手伝うし、逆に、これは逆にという事態があっていいのかどうか、僕は全然かまわない、あっていいと思っているのですが、実は僕もかなり彼らから世話をやいてもらってもいる、知らない事を教えてもらったり、その場でやるべき事のアドバイスを受けたり、ダダスベリ間違いなしのはずのボケに親切にツッコんでもらったり。
相手を必要以上に、時には脆弱性の塊としての子供であるかのように見なして、細心の心遣いを前面に思いっ切り押し出しながら、慈悲深い自分という体で接する、接し方によっては、それによって相手を強制的に何も出来ない弱者という立場に追い込んでしまう事になる、場合もある、その時、尊厳はどうなるのか。
細心の心配りは必要、コンテクストを逸脱しない緊張感も当然必要、それは彼らを決して傷つけない為、しかしそれは敢えて前面に押し出すものではない。
人と人、そこに介在するのはあくまでもリスペクト、それは相手を元気にさせるし、自分も勇気が湧いてくる、そしてなによりも楽しい。
・・・・・・あくまでも僕が接している人達についての話ですが。


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