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巨大機械としての企業

2017年12月17日 10:14

伸び伸びと働ける環境で個性を生かす、適材適所、人材登用配置において会社でそんなものがどれだけ実践されているのか、そうなっていないからパワハラとかあるのかもしれないですけどね、まあ、それは今は措いといて。
しかし、会社の目的、企業の目的、やはり利益を生み続ける事、法人とか言われるくらいですから、やはり利益を生まなければ倒産、恒常性を保つ事が出来ずに、法人として死ぬしかない。
利益を生み出す事を目的とした、比喩的に表現すれば、大きな機械としての会社、規律の元で正確に、利益を生みだし続ける為に動き続けるしかない巨大な機械、システムと言ってもいいのでしょううけれど、なんとなく僕のイメージでは企業というのは巨大機械っぽいので、機械というのは何らかの目的で人間に作られるのでしょうし、なにか産業革命とかもイメージしてしまいます、だから、利益を生む事を目的とした巨大機械が資本家によって生み出されたっていい訳で。
その企業に属するという事は、利益を生み出す事が目的である大きな機械の部品のひとつに自分がなるという事、それはその大きな機械を作動させるのに不可欠な部品の一つになるという事なのか、各人が巨大機械の部品の一つとして正確に規律の従って動作する。
人間と機械は違う、というのもどうなのかな、利益を生む巨大機械を動かすには根回しとか、戦略とか、情緒的な潤滑とか、ただ、それすらもマニュアルや参照する前例があるのだとしたら、必要に応じてひっぱり出して来ればいいのだとしたら、根回し機械という部品、戦略機械という部品、情緒的潤滑という部品、これがあってもおかしくはないのだし、開発を担う為に自由闊達であれと命じられた人は自由闊達部品として動作する、とか・・・・・・しかし何の話でしょうかこれは、思うままに書き連ねてしまいましたけど。
社会、マニュアル化がもっともっと進めば、僕らももっともっと機械化される、そんな中でのカウンターとして自由闊達機械も生成される。
もしそうだとしたら、自分に当てがわれた任務を正確に果たし続け・・・・・・・・・なんかすっごいおかしな話の流れになってますけれど。
そういった自分の在り方が、自分自身の欲望と合致するのであれば、それは幸せな事、自分より大きなものの役に立つ事というのは、割と高次の幸せの在り方なのでしょうから、巨大機械の一部を担わせてもらえるという事は、決して不幸な事ではなく、自分が役に立っているという実感や喜びにもつながりやすい、最初は巨大機械の一部品でしかなかったものが実績や信頼と共に巨大機械の中で作動する小さな機械になる、というのは出世ですか。。
そんなこんなで、なんにせよ、生き甲斐の提供、持てる力を発揮して働いてもらう為には、時代に合った、冒頭のような様々なスローガンは必要ですね。
極端に言えば、自分などというものは、巨大機械の中に投げだして新たな生成に身を任せたっていい、そこから始まる事も沢山あるのだし、これも一つの生きやすさであり幸せの形。
そうは思えないのであれば、巨大機械から逃走し、自分で新たに小さな機械を生み出せばいい、そして生み出した以上は恒常性を保ち続ける、自らが生み出した機械、それも一つの生き甲斐ですね。
今、病み上がりで何の考えもなしに書き殴っているので、すっごいいい加減ですけれど。


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