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差異 断絶

2016年09月09日 09:27

自分なりの価値観というのは、成長や経験に伴って徐々に構築されてゆくのが、いいのか。
自分なりの価値観を構築する(もしくは自然と構築される)には、まずは、一旦は社会に流通している一般的な価値観・作法・常識と言われるものを、これは・・・すべて受け入れた方がいいという事ではなく、そこには根拠や意味のないように思えるものも含まれているのだろうから、だから受け入れてそれに従うべき、という事ではなく、まず一旦は、社会の多くの人はこういった価値観に基づいて生きているという事を了解する? まではいかなくても、とりあえずは呑み込む、というイメージなのか、そうですね、呑み込んだ後に、徐々に了解に至れるのであれば、了解に至る、のが理想的という事なのか、社会を生きてゆくにはしたたかさも必要なのでしょうし、人たらし的なテクニックとかも含めて・・・・とか言い出すと話の流れが変わってきてしまいますから、やめておきますが。
えーと、社会に流通している価値観を呑み込まないで「いや、自分はこうだ」という反発から独自の価値観を構築しようとすると、社会と自分との間に大きな差異、断絶が生まれてしまう危険性もないこともないようにも感じていて。
そこから芽生えた価値観によって自分を表現する場所というのは、自分が反発を抱いている、一般的な価値観を共有している多くの人が存在する場所、という事なのでしょう。
そこで自分を表現しようとする時に、いらだちばかりが募ってしまう、という事にも。
一旦は呑み込んだうえで、自分で考え、自分なりの価値観を構築してゆく、そしてそれを表現する場所は、社会という一般的な価値観が浸透している場所・・・・・なにか、成熟の一つの在り方みたいな感じなのかもしれませんが。
また価値観というのは、経験と共にどんどん変わっていいものなのでしょうし、常に再構築され続けるものですよね。
ふっと思いましたけど「なんちゃって一人グローカリゼーション」みたいな事もいいのかもしれません、微妙ですけど・・・・・なんだこれ、今書いていていきなり出てきましたが。
そうですね、一般的な価値観を観察・学習・了解したのちに「では、自分はどうするか?」と考えてゆくのがいいのか、一旦受け入れる事でそれが刺激となって独自の想いや工夫や自尊心が湧き上がってきて、それを表現したくなるのか。

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