
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
平等ってなに?
2017年11月26日 10:05生まれてくる時、親は選べない、この親の元に生まれてこようと考えて生まれてくる訳ではない、もし選べるのであれば誰だってより優れた幸せな環境に生まれてこようと考えるのだろうし、そういう親の元に生まれ出ようと、倍率や競争率も天文学的な数字になるしかないのでしょうしね。
まして、今の親の元に生まれてきたからこそ、これが自分であるという「私」という感覚、自我が芽生えたのかもしれない、だとしたら、だからこそ人は何かを達成して幸せをつかんだように思えた時に感極まって無意識的に「産んでくれてありがとう」とか感謝の言葉を発してしまうのかもしれない。
まあまあ、それはそれでどうしようもない、選択の余地が一切ない事であったとして、人の平等というのはいったい何なのか、平等・・・・この二文字には大きな違和感を覚える、考えれば考えるほど、一切の思考を放棄したくもなる、思考を中断してヤケッパチになりたくもなる。
遺伝子も解析されたりして、その遺伝子にはその遺伝子の保有者の素養、資質、才能、潜在性、持って生まれた能力や基本的な性格の一部なのか大部分なのか、そういったものが、もし万が一、強固な潜在性として記述されているのだとしたら、あとはそう、自我の形成に大切であるとも言われる生育環境、これは養育者から与えられるしかないものなのでしょうけれど、それも本人というか、その個体が自由に選択できる訳ではない。
そんな状況の中、生れ出てヨーイドンでどうしろというのか、なにについての平等なのか、権利や差別や区別とか、本来は差異と認識するだけでいいものなのでしょうけれど、じゃあそもそも人間の本質というのはどのような・・・・・・とかも、なんとなく思ってしまうし、時間は平等、人それぞれ時間だけは同じように流れてゆく、のだとしても時間の経過というのは主観的なもの、苦しい環境の中で過ぎ去ってゆく心的時間と、そうではない理想的な環境の中で過ぎ去ってゆく心的時間というのは全く違うし、寿命、健康寿命、これにしても科学が進めば進むほど、もっともっと革新的に操作可能になってくるのかもしれない、それは超先端医療という事なのだろうけれど、その医療を享受するのに必要なのか財力、お金が必要、お金があれば健康寿命が延びる、とかも。
・・・・・・ほらだから、そうなんです、こういう事を言いだすとどこに風穴を開ければいいのか皆目見当がつかなくなってくるし、落としどころが見つからない、袋小路、運命、運命を、受け入れる・・・・・・とかは僕は大っ嫌いなので、ただ抗い続ける、抗い続けるのが自分の意味とか、でもそんなことでお茶を濁したくもなく、だから思考を放棄して叫び出したくもなる。
僕らが暮らす社会の中、自明としての多様性とか、価値観を転回させ続ける事とか構造を揺さぶり続ける事、こういうのがベースになるのであればそれなりに変わってくるのだとは思うのですが、そういうのはカルチャーの中から立ち現れてくるのだろうし、そう考えられる優れた個体も沢山いる事は間違いないのでしょうし、だから今は過渡期なのでしょうか。
平等というよりは本当は、多様性なのかな、平等ではないからこそ平等という言葉が叫ばれるのでしょうし、平等という言葉を聞かされる時、その裏に多くの平等ではないビジョンが見え隠れしてしまうようにも感覚します。
勢いに任せて書き殴ってしまったので意味がおかしいところも沢山あるでしょうけれど、なんかこんな事をちょっと思います。
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