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年賀状に思う
2017年12月24日 17:26年賀状に初春とか新春とか言う言葉を書く、そうすると普段は封印している非常に嫌な記憶が瞬時に蘇ってきます。
初春、新春、春、桜の季節、風に舞う桜の花びら、普通に考えれば美しさや希望を象徴するような言葉なのですが、僕の中では風に舞う桜の花びらというのは、なにかこう、それまで否認してきた現実を突き付けられたかのような衝撃に声を失うしかないという。
うちの祖母は、これは母方の祖母ですが、晩年、最後の1~2年は病院が併設した介護施設で過ごしていた、それは実の娘である僕の母が自分の親の面倒を見るのが、これはかったるいから、とか、しもの世話なんか絶対したくないから、とか、普通に言ってましたからね「きたない」って。
施設は割と近くだったので僕はよく顔出してました、祖母はしゃべるの好きだったから介護士さんや看護師さんとしょっちゅう笑いながら話してた、だからそれなりに楽しかったんだとは思います。
僕がいくと何故か祖母は娘に気を遣う、だから母に気を遣う、気にかけると言った方がいいのか「あんた、あたしゃいいから、それより○○○は毎日大変じゃないのかい、早く帰って手伝ってやんな」何を手伝うんだか、高齢の母親がいい年した娘を気遣って、手伝いが必要なのはあんたでしょうが、と思いつつ。
母は嫌がってあんまり顔出さなかったんじゃないかな、徐々に弱っていって亡くなる寸前、先生から話がありますね「今日が山場」みたいな、その話を家族で聞いて、祖母の部屋にみんな戻るのかと思ったら、母と妹はそのまま施設の玄関方向へ歩いて行く。
母は友人とカラオケの約束をしていて時間が迫っていた、妹は都内で友人とテニスの約束があって、やはり時間が迫っていた。
僕一人だけ、ああ、あとうちの奥さんもいたな、話の間祖母の部屋で世話してた、僕は部屋に戻り、もうその時は意識はどうだったのかな、話しかければ薄く目を開いてなにか口は動かしてましたから、なにか話してくれていたんだと思うのですが、手足にはもうチアノーゼが出てたから、時間の問題なんでしょうそうなると。
風の強い良く晴れた暖かな昼下がり、満開の桜が風に舞ってとても綺麗、一瞬祖母が窓の外に目を向けて何か口を動かしたように感じ、だから僕は多分祖母は窓を開けて欲しいのかなと。
ベットの脇の椅子から立ち窓際へ行き、窓を半分位明け、小鳥の鳴き声も綺麗だった「おばあちゃん、見てみな、すげえよ桜が」その時は何十年ぶりくらいなのかな「おばあちゃん」とか言ったのはいつもは「ばあさん」「ばあちゃん」みたいに言ってたから。
で、僕も10秒位、舞い散る桜にみとれて、そのあとベットの脇の椅子に戻った時、祖母はもう亡くなっていたという、窓の方向へ顔を向けたまま、多分窓から出て自由になったんでしょ、その時は瞬間的にそう思った。
その後先生や看護師さんを呼んで、母と妹に連絡して、別に飛んで帰っては来なかったな二人とも、夕方普通に、自分の予定を少し早めに切りあげて帰ってきた、二人とも別に号泣、というか泣く事もなく、それからあわただしい葬儀の準備に機械的に突入。
僕にとって、血のつながりのある、それはおぞましさという、血のつながりのある母親というのは、一生続くアブジェクシオンでしかない、それは僕がではなく自己愛性人格障害でしかない母が姑息な依存を向けてくるのを一瞬の気を抜く事もなく断ち切り続けるしかないという意味合いにおいてのアブジェクシオン。
僕はそんなものに愛情を向けるほどどうかしてはいないし、かわいそうなお人好しでもない、ただ親ですから、面倒は見ますし笑って話もします、多くの場合、自分の内から湧き上がりそうになる本当の想いを抑え込みつつ、これは早く諦めに変わればいいな、とは思っています。
許すとかそんな事じゃなくて、他者、共感不能な圧倒的な他者として自分の環世界から追い出すしかないのでしょう、そうこれは僕が姑息な攻撃的依存が大っ嫌いな理由でもある。
本来は母親に向けるべき愛情や慈しみを、他の女性に向ける事が出来る、これはこれでいい事だなと思うのですけれどね、自分が大切にしたいと心底思えるものは別にどこにあったっていい、女とは、母親であり娘であり妹であり、妻であり愛人である、そして命をかけて守るべき女神である・・・・・・・って誰が言ってたんだっけな、いや誰がそんな気のきいた気持ちの悪い事言うんだ、自分が調子こいて誰かに言ったのかもしれませんが。
僕はそういう経験をさせてくれた母を、決して愛することはありませんが、憎むことも決してありません、ただ。そういう人がいるという事実だけ実感できた、これは感謝とは言いません、感慨深いものはあります。
女は、そう、自分が依存するものや甘えるものではない、ただ守るものなのだと、本来は、であれば、自分が納得のゆくものだけを守りたいものです、納得のゆかないものに命かけるお人好しはいませんしね。
愛される事によってホッとするのではなく、愛する事によって、愛する事を許可される事によって勇気が湧いてくるように感じる自分、こんなような母親との経験が元になっているのかもしれないですね。
だれでも、色々なものを抱えながら、それでも生きている、僕の経験なんか取るに足らないちっぽけな経験です。
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